太郎坊のそよ風

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会 スタッフブログ

5月16日(日)、早稲田大学理工学部(新宿区大久保)において、第5回通常総会が開催されました。

冒頭、中村徹会長から「今年から気象庁との新たな山頂庁舎の借用契約の更新により、第2ステージに入ることになるが、財政的には大変厳しい状況が続く。社会の期待にこたえて新しい体制の下、当会を発展させたいので会員の皆さまのご支援をいただきたい」とのご挨拶がありました。

引き続き議事にはいり、平成21年度事業報告、平成22年度事業計画、定款の変更、および理事の選任について決議されました。今回は役員改選期にあたり、定款変更で理事の定員を25名から30名に増やし、体制の強化がはかられました。

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総会に引き続き開催された第2回理事会で理事長に畠山史郎理事を選任。

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畠山新理事長のご挨拶。

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総会のあとに開催された片山葉子理事(東京農工大教授)による特別講演「富士山とCOSのはなし」。

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 富士山測候所のNPOの業務日報

富士山頂での気象観測は、1932年(昭和7年)に西安河原でスタートし、1936年に「中央気象台富士山頂観測所」が正式名称となり、山頂剣が峰に新庁舎を建設し移転して以来、2004年(平成16年)富士山測候所が無人化するまでの72年間は、気象庁の職員が常駐して「有人で行われていました。

この有人観測時代に山頂で働いていた職員が日々の生活をつづった「カンテラ日記-富士山測候所の50年」(ちくま少年図書館90、社会の本、1985)の著者・中島博氏によると
昭和7年から現在まで、日夜休むことのない気象観測が50年間続けられ、多くの人々がこの仕事に従事した。山頂に勤務した人が毎日の出来事や感想をつづった日誌がある。これを「カンテラ日誌」という。この日誌の昭和12年から現在までのものが、ほぼ完全に保存されている。
・・・・・
長い年月、多くの人びとが書き残したもので、中には読みにくいもの、わかりにくいものなどがあり、これらの記録には手を加えた。また富士山測候所の仕事とか生活の変遷が分かるように、解説をつけたので本の標題は『カンテラ日記』とした

ー「はじめに」より
とあります。

著書には「首都圏空襲(1944年11月24日)」、「地方都市も(1945年7月10日)」、「被弾(同年7月30日)」と戦争中の測候所や、「米兵登山(1945年9月19日)」、「英旅客機墜落(1966年3月5日)」のなどの記事もあり、非常に面白く貴重な記録です。現在残っているのは中島氏の上記の著書だけで、最近、その原典が失われてしまったことは誠に残念です。

気象庁は、業務日報でないことと、個人情報が含まれること、移転に際して場所がないなどの理由で廃棄されたと聞きましたが、いま、気象庁だけでなく、日本の官公庁の資料のアーカイブに関する定見のなさはとても先進国と思われないお粗末さで、目を覆うものがあります。

ひるがえって、いまは富士山測候所は本NPOが2007年以降12年間にわたって気象庁から借り受けていますが、夏季約2ヶ月間の利用にあたっては有人管理体制が義務付けられており、山頂班3名が常駐し管理運営にあたっています。

山頂班は、「業務日報」に当日の業務内容、トラブル、問題点、特記事項などを記載し、翌朝までにはクラウドを利用したグループウェアを使って報告。御殿場基地班(御殿場市内)、事務局(東京都千代田区)、そして本NPOの運営委員(理事)等、運営に関わる地上の関係者が山頂で起きている日々の情報を共有しているのです。

この記録は、現在は電子化されたままでもアーカイブ化されています。これからも夏の2ヶ月間だけとはいえ標高4千㍍級の富士山頂の有人管理の貴重な記録として、業務日報を次代に残していくことは我々の責務であると、今回の記事を読んで改めて考え直させられました。

(広報委員会)

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