太郎坊のそよ風

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会 スタッフブログ

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 1990年代の測候所(佐藤政博撮影)


1990年代まで富士山レーダーを擁して「台風の砦」であった富士山測候所は、当然のことながら、台風に襲われることが多いところです。上空の大気の動きが速いため、山頂では台風の影響は地上より数時間早く現れます。

立平良三・元気象庁長官は、富士山測候所勤務を経験された方ですが、「富士山測候所との10年」(変わる富士山測候所、春風社、2004)の中で次のように書いておられます。


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・・・・・・期待通り、富士山レーダーは南方洋上から接近する台風を、500~600kmもの遠方から監視する役割を果たしてきました。富士山のレドームは秒速100mの強風にも耐えることのできる設計でしたが、一度だけ、レドーム(レーダードーム)のフレームに取り付けられている強化プラスチック(一辺2m程度の三角形)が破損したことがあります。1966年台風26号が富士山の西側を通過した時のことです。このとき、山頂の風速計は最大風速91.0mを記録、その後壊れてしまいました。


強風はベルヌーイの定理が示すように、レドーム内の静止空気より気圧が低いため、内部の空気は破損部分から吸い出され、床に張られていた防水用のゴムシートは膨れ上がり、裂け目が生じました。雨水が裂け目から降りかかり、危険を避けるために送信を停止せざるを得ない状況にい陥りました。この時台風の中心は既に山梨県付近まで移動、ほかのレーダーに観測を引き継ぐことで富士山レーダーは任務を全うすることが出来ました。破れたプラスチックパネルはレドームの下部に取り付けられていたもので、風によってではなく、飛ばされた岩石が衝突して破れたものと推察されます。風だけなら、設計通り十分に持ちこたえたでしょう。

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その後、大型パネルに強大な風圧が直接かかり、ねじれて掛け金が外れ、内側に倒れ掛かってきました。80kgもあるパネルを5人がかりで必死に支え、重い箱や心張り棒に少しずつ置き換え、一時間ほど耐え抜きました。パネルが倒れていたら、塔内のレーダー機器や地上観測機器は水浸しになり、大損害はまぬかれなかったでしょう。・・・・ 


NPOが夏の2か月、管理運営するようになってからも、台風による影響は多く出ていますが、会報誌『芙蓉の新風』の中から、台風関連を拾ってみると:2007の開所時の台風のあと、2009年長澤先生グループが登山中止、2011年見学会見合せ、2014年7月に大型台風8号接近で一時閉所下山(生越班長)、2015年、大気化学の荷揚げと重なったり、ブラタモリの撮影がぎりぎりだったり、2016年は7.8でブルが断念して下山(大河内研、8.21)など。

これらは、山頂班の岩崎班長が「通常業務の範囲です」といわれるものがほとんどですが、今年はどうやら、それ以上の「当たり年」のような予感があります。前回の台風12号は東から西へ動く異例のコースをとり、仮設庁舎の雪囲いにも被害をもたらしましたが、今回の様子は(岩崎班長のチャットによると)

徐々に風が強まっています。風が前回と同じNNEなので、雪囲いが無くなった所からの吹込みが強く、仮設(庁舎)ー4号(庁舎)間の連結部分が脆弱で、危険だったので応急処置をしていました。
相変わらず風圧でドアの開け閉めが大変です。酔っぱらっている訳では無いのですが、小刻みに仮設が揺れています。(笑)長い1日になりそうです。まあ、いつものことですが、気持ちよくはないですね。
仮設はあちこちから風が吹き込んで結構寒いです。最近床下からも吹き上がって来ます。


とのことで、一昨日(8月7日)、研究者たちを急きょ下山させた山頂班の判断に感謝して、台風13号が12号で傷んだ仮設庁舎を吹き飛ばさないことを祈って長い一日が過ぎました。何とか無事にやり過ごしてほっとしていますが、南海上には台風14号が発生したとか・・・心配の種はつきません。

(広報委員会)




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8月2日(木)に富士山頂郵便局から投函した暑中見舞いです。土日を間にはさんだので、お手元に届いたのは8月6日(月)が多かったようです。最近、この「山頂消印付のスペシャル葉書」を期待して下さる方も増えたようで、数名からメールを頂き、暑い地上にほんの少し涼風を運んだようでした。

しかし、暑中見舞いが届いたと思ったら、これまでとは打って変わって涼しい日です。台風13号の接近に伴い、研究者の皆さんも登山計画を練り直したり、山頂班も、台風12号のような逆風による被害も想定して庁舎や測器の養生などで、気の抜けない日々が続きそうです。

(広報委員会)

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(左)野中山入口の標識 (右)野中到・千代子顕彰碑と佐藤政博監事(元富士山測候所長)

8月1日午後、太郎坊で無事に爆弾処理(山頂のトイレ廃棄物をこう呼んでいます)をすませた御殿場班宮城さんにお願いして、佐藤監事と土器屋は帰り道に野中山の「野中到・千代子顕彰碑」と御殿場市に新しくできた「樹空の森」を見学しました。

顕彰碑の隣の説明文には
野中到は慶応3年(1867)現在の福岡市に生まれ、明治25年(1982)同卿の千代子と結婚。
気象研究の道に進み、高層での観測の必要性を痛感し、明治28年(1985) 富士山頂剣ヶ峰に、自費で木造6坪の観測所を建て、妻千代子と共に富士山頂冬季気象観測を実行した。
この壮挙は中央気象台(現在の気象庁)による「富士山頂観測所」の建設の礎となった。
その後、野中到は富士山が展望できる現在地(当時の通称は滝が原山王塚)に別荘を建て、大正12年(1923)関東大震災で建物が倒壊する頃まで、ここを拠点として、富士山の気象観測を続けた。
いつしか、この地は地域の人々から「野中山」といわれ、紅葉の名所としても知られるようになった。この山のカエデは野中到が京都から取り寄せ、別荘の庭に植えたものと伝えられている。

                                                平成17年11月吉日
                                                       御殿場市市制施行50周年記念
                                                       野中到・千代子顕彰碑建設委員会

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と書かれており、御殿場市制施行50周年行事の一環だったことが分かります。

また、碑文は当時の気象庁長官長坂昂一氏の書とあります。本NPO法人の前身であった「富士山高所研究会」のメンバーとして、測候所有人観測の継続をお願いに、何度も交渉に行った長官のお名前を発見して驚きました。

野中山は23号線を太郎坊から御殿場に向かう左側の、「桜公園」から曲がるとすぐのところにあり、道路標識もあります。ほぼ同じ高度を右に曲がり、数分ドライブすると御殿場リゾート「富士の郷」があり、その中に「樹空の森」ビジターセンターがそびえています。

樹空の森看板

センターはガラス張り3階建て、2階の展示室「天空シアター」には、「富士山気象観測にかけた夢」のコーナーがあり、「富士山と雲(阿部正直)」「山頂にかけた夢(野中到・千代子夫妻)」「山頂観測への情熱(佐藤順一やレーダードーム建設にかかわった人々)「宝永の大噴火(火山弾、火山灰の実物展示)」などのコーナーがあります。

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また、屋外の施設も広く、ふれあい広場の横には、富士山測候所最後の雪上車が展示されています。

最後の雪上車
 富士山測候所最後の雪上車、有人観測時代は冬の通勤や物資の運搬に活躍

12年目を迎えたNPOの夏期観測ですが、その間通い続けた御殿場基地と太郎坊の間に今まで知らなかった、名所を発見出来て、御殿場市もこの間大きく発展したことを知りました。

(広報委員会)

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