太郎坊のそよ風

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会 スタッフブログ

2011年02月

例年、この時期は、昨年夏の観測の成果報告会も終わり、新年度の研究計画・活用計画の公募を皮切りに、夏の運営に向けた諸準備がスタートする時期です。

この区切りの時期をとらえて、日頃大変お忙しい顧問や理事の中で訪問が可能な一部の方々に、最近の活動状況のご報告をすることにしました。今日は中村会長にもご同行していただき、塩谷立顧問と谷垣禎一理事を訪問。

新年度予算案の審議中の大変お忙しい中でしたが、ご熱心に耳を傾けていただき力強いご支援の言葉をいただきました。

なお、当NPO法人による2007年以降の富士山測候所の管理運営について記述した「フィールドで学ぶ気象学」(著者:土器屋由紀子理事)をお渡ししました。

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顧問の塩谷衆議院議員・自民党副幹事長を囲んで(衆議院第二議員会館にて)

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理事の谷垣衆議院議員・自民党総裁を囲んで(自民党総裁室にて)




追悼・山本季生
ダウラギリに逝った山頂班山本さんを悼む
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2007年度山頂設営の最初から山頂班員として、旧富士山測候所の開所準備、管理運営などに活躍された山本季生さんが2010年9月28日、ネパール・ヒマラヤ・ダウラギリ峰(8,167m)登山中に雪崩に巻き込まれて遭難されました。

心から哀悼の意を表するとともに、ML:sanchousankaに寄せられた彼との想い出などを中心にご紹介します。

(*)2011年1月23日東京大学弥生講堂で開催された第4回成果報告会において、エントランスホールに特別のコーナーを設けて展示しました。以下は、山頂でお世話になった方々から寄せられたメッセージの一部です。




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我々国立環境研究所は、山頂でCO2(二酸化炭素)濃度の無人長期観測と衛星通信を利用したデータ送信を試みています。設置当初は衛星通信アンテナの設置位置の検討が大きな問題であり、2008年から毎年のように試行錯誤と試験を繰り返してきましたが、山頂では山本さんに大いにアドバイスをいただきました。

また2009年に行った100個の鉛蓄電池の山頂への荷揚げは、山本さんの力がなければどうなっていたことか想像もつきません。1個16Kgする電池 100個を2回に分けて山頂に上げましたが、ブルは庁舎の階段下で止まります。山頂の階段はかなり急ですし、段差もさまざまです。庁舎の玄関から続く薄暗い廊下に入るとぐっと酸素濃度が下がった気がします。ただでさえ高山病に陥りやすい状況での重労働は素人には非常に酷で危険でもあります。

そんな状況で活躍してくださったのが、山頂班の山本さんと川原さんでした。背負子に4-5個の電池を積んで、軽快に階段を上り下りし、何度も往復してくださいました。細い体のどこにそんなパワーがあるのか不思議に思うくらい、驚異的で強靭的な速さと身軽さでした。今装置が山頂で動いているのも山本さんのおかげです。この件に関しては、我々一同感謝してもし切れないほどです。

また、皆さんの荷物置き場でもあった3号庁舎に装置を置かせてもらっているため、段ボール箱に埋もれた中で作業をしていましたが、山本さんは時々様子を見にきてくださり作業がしやすくなるように配慮・提案をして下さいました。常にいろいろなことに気を配り、我々研究者が作業しやすいようにしてくださっていた印象が強く残っています。

山本さんのご助力で始められたこの観測が継続し、サイエンスとして意味あるデータを出していくことができればいいと思っています。
須永温子(国立環境研究所)




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富士山山頂での観測に馴染みのなかった新参者の私どもは、その過酷な環境や設備の状況を十分に理解しないまま、わずかな人手で80kgを超す装置(イオンカウンター)を持ち込むという天真爛漫な計画をたてました。

ブルドーザーから荷を下ろす馬の背から測候所まで、装置の搬入は人力に頼らなくてはなりません。高山病で頭がクラクラする私には、そのたかだか数十メートルが果てしない道のりに思えました。酸素のたっぷりある下界でさえ、我々が3~4人がかりで運ぶ装置を、山本さんはしかし一人で背負い、軽いステップで運んでしまうのです。シェルパ族も顔負けの超人的な体力にはただただ驚かされるばかりで、登山者の方々もそろって感嘆の声を上げていました。

研究のサポートだけでなく、山頂では我々研究者の体調のわずかな変化にも細やかに気を配ってくださり、顔色が悪そうだと気づくなり必要な薬を差しだしてくださいました。山本さんの助けなしでは我々の研究は成り立たちませんでした。本当にお世話になりました。

Paolo Laj パオロ・ラジ L.G.G.E. (フランス 雪氷・環境地球物理学研究所 所長)
松木 篤(金沢大学)






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去年、今年と富士山頂で微粒子の成分を測定するために大型の大気吸引器(ハイボル)を用いて観測を行いました。大型であるために、その重量は一個30kgと重く、山頂での設置や撤収は非常に大変なものでした。山本さんには装置の設置や撤収の際に非常にお世話になりました。

足場が悪く、空気が薄いため、研究者3人でやっと持ち運びが行えていた装置を山本さんは一人で装置を背負ってサクサクと運ばれている姿を見て、唖然としていました。昨年は装置の足場を確保するため、今年は非常に天候が悪い中(強風と降雪)設置を行い、山本さんの助力がないと研究がスムーズに進められなかったことはいうまでもありません。

(*)個人的に竹谷は富山県出身なのですが、山本さんが富山県(朝日町)にお住まいだということを聞いて、とても驚きました。私の祖父の家が朝日町宮崎というところにあり(毎年行っていた)、「ご近所ですね、世界は狭いですね」という話で盛り上がったことを覚えています。

竹谷文一(海洋研究開発機構)
兼保直樹(産業技術総合研究所)
藤原慎太郎(北海道大学)



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雷活動から生じる放射線や電界変動を観測しようとしている私たちにとっては富士山山頂からの美しい落雷写真は、いつかは手に入れたいものでした。

そんな中、山本季生さんからは、私たちは「落雷写真を狙っている人たち」になっていました。

その山本季生さん、雷活動を監視している山頂班の中で、ピカイチともいうべき気象に関する鋭い読みと洞察力を持たれていました。そして私たちが滞在している間は、その鋭い読みで落雷写真が撮れそうな時を見つけ、いつも声をかけてくれました。

しかしながら、私たちはそのチャンスを活かせずやっと撮れた写真は左の写真(省略)。一方、私たちが滞在していないときに撮ってもらった山本さんの写真は右の写真。後者は教科書に出てくるような落雷写真というだけでなく芸術性も入ったすばらしい写真でした。

山本さんの知識と行動力ならではの写真で研究資産として発表等で日々使わせていただいています。

鴨川 仁 (東京学芸大)





2007年に測候所の借受をした初年度、NPO事務局のお手伝いをさせていただいてました。

NPOとして初の測候所の利用開始に向けて、気象庁への提案書作成から各種許可申請、スケジューリングと測候所の定員管理、研究者のみなさんの研究計画の集約等々・・・と、当時、測候所の利用開始まで事務取りまとめにてんてこまいでありました。

測候所の利用開始日がどんどん近づく一方で、送電線点検やブルの手配、食料・物品の調達、研究資材の搬送からトイレの汲み取り手配まで、等々の富士山側の準備がほとんど進まず、かといって東京事務局側の事務も積もり積もって~ という状況の中で、山頂班として来られたのが山本さんでした。

山本さんは滞っていた富士山側の準備を着実に進められ、現地作業のマニュアルも作成、なんとか開所にこぎつけ、初年度に発生したさまざまな課題やトラブルも山頂でひとつひとつ対応して下さっていたことが思い出されます。

測候所の活用も来年度は5年目に入られ、研究件数も年々増加し益々の発展をされておられ何よりです。これも、山頂班としてNPOの測候所活用の初期から関わられていた山本さんの尽力が基盤となり、現在に至っておられるかと拝察いたします。
 
米倉寛人(元東京農工大生・事務局、NKSJリスクマネジメント㈱)




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去年、風力発電機、ソーラーパネル、鉛蓄電池などを持ち込み、富士山頂でマイクログリッド発電試験を行いました。購入したこれらの装置が思いの外大きく、組み立ても結構やっかいそうでしたので、太郎坊のベースで組み立てて見ることにしました。納品業者から手順の説明は聞いたものの、見た目以上に重いパーツがこれでもかというほどあって皆が躊躇していました。

そこへ山本さんが登場。山頂から降りてきたばかりで、恐らくは相当疲れていたであろうと思われるのですが、慣れた手つきで手際よくドンドン組み上げてくれました。できばえもきれいで、センスの良さを感じました。また、実際の山頂における設置場所の話になり、狭くて足場が悪い所にこれらの重い機材を持ち上げて固定するというのは非常に困難なこと、ましてや空気の薄い山頂での過酷さは山頂の状況に明るくない私の想像を遙かに超えて大変であることが議論されましたが、そのときも、いかにすれば設置できるかを山本さんが考え出してくれました。困難な作業を山本さんご自身がやって下さることも快諾してくれました。

その日が山本さんとは初対面でしたが、ただでさえ山頂での仕事は大変なのにこのようなことを快く引き受けてくれるその姿に私は山本さんの優しさと度量の大きさを感じました。そしてなんと頼りになる人かと。

遭難のニュースを知りインターネットで安否を何度もチェックする中で、普段の山本さんの姿を少しですが知ることができました。そこには、まわりのみんなに慕われる、誠実で明るい、私の思っていたそのままの山本さんがいました。そして、改めて無念な気持ちになりました。

佐々木一哉、安本勝(東京大学)







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