太郎坊のそよ風

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会 スタッフブログ

2018年09月

DSC_2430
     佐藤あゆみアナと土器屋

旅ラジの90ちゃん号。1年をかけて全国47都道府県を巡り、ふるさとの魅力を伝えている
NHKラジオ『旅ラジ』のホームページ 今週の90チャン号:静岡県の旅

 9月11日 静岡県富士宮市 静岡県富士山世界遺産センター研修室

夏季限定!富士山測候所
富士山の頂上にある富士山測候所は夏の2ヵ月だけ開所し、400人以上が訪れる。測候所が地域にとってどのような存在なのかを伝える



事務局が取材を受けたのが8月末で、台風の中の測候所閉所で苦戦しているときでした。場所が富士宮市にある静岡県富士山世界遺産センター(センター)で行われるとのことで、忙しい研究者の予定が立てられずに、広報委員会から土器屋が出席しました。

 全国放送とのことで、測候所について知って頂けるチャンスと思って出かけたのですが、取材の過程で、富士宮市の地元で山頂に山小屋を経営している富士館主体の内容に変わったようです。最初にセンターの総務の大湖羽純さんによる富士宮市とセンターの紹介、次いで「2か月山頂の小屋で生活して昨日下山した」富士館の宮崎哲也店長の山頂での話になり、途中で少しだけ、測候所の説明の時間が与えられました。最後はグルメタイムで「朝霧ヨーグル豚」の松本貞徳氏の実演という構成でした。

DSC_2427
     静岡県富士山世界遺産センター内部の会場

DSC_2431
     佐藤あゆみアナと大湖さん

DSC_2456
    参加者に配られた旅ラジグッズ

 生憎のお天気で富士山は一度も見られず、室内の会場には放送開始時には30人以上の方が集まっていました。 ほんの数分でしたが、12年目の夏季観測の状況、どんな研究が行われているか、いろいろ苦労している事、それでも測候所は使い続けたい素晴らしい研究・観測地点であることなどについて、話をさせていただきました。

DSC_2421
    バス停からみた静岡県富士山世界遺産センター

 せっかく富士宮に来たので、放送終了後はセンターの見学をしてきました。昨年開所したばかりの新しいセンターは「逆さ富士」がテーマのユニークな建物です。一階から三階までのらせんスロープの両脇には登山中に見る風景が映像として照らし出された「バーチャル登山」を経験できるようになっていました。

 晴れていれば素晴らしい富士山が見えるはずの展望ホール以外は、途中の「荒ぶる山」「登拝する山」「聖なる山」「美しき山」などのコーナーも、すべてディジタル画像や映像で展示されており、映像ホールでは、常時2つのテーマ短編が入れ替わりで放映されており、多くの整理員の方の説明もありました。

DSC_2423
  センターの入口

DSC_2444
   晴れていれば大きい富士山が見えるはずの展望ホールから

 最後に、一階の「図書資料室」で、センター学芸課の大高康正准教授とお話しすることができました。新しい施設なので図書は展示のみで、貸し出しはしておらず閲覧のみとのこと、富士山に関わるものが中心に集められており、山岳信仰、世界遺産、動植物などが多い。年に5回展示会を行なうなどのお話を伺い、本NPOの出版物も、受け取って展示して頂けるとのことで、「成果報告会要旨」「芙蓉の新風」の最初から現在までを各1部づつお送りすることになりました。

また、入口の「自由にお持ち帰り」コーナーのポストは先着順とのことでしたが、空きができたら置いていただくということで、NPOパンフと「芙蓉の新風」最新号を5部程度置いてきました。今後発行の会報などをお送りすることにしてきました。センターを訪れる方に本NPOの活動を少しでも知って頂ければと思います。

(広報委員会)







 本NPOホームページの「野中到・千代子資料館」に「野中千代子は気象学会員だったか?」という疑問を載せています。そのことは本ブログ「野中到・千代子資料館 ホームページにオープン」でも触れましたが。先日、逗子の野中勝氏のお宅を、気象研究所の山本哲氏、佐藤監事、土器屋の3名で再度訪問し、資料を見せていただいたおりに、山本氏から、気象学会の機関誌『天気』2018年8月号、「情報の広場」の記事の中で示された明快な解答の説明がありました。

 山本氏は初めに、上の記事(土器屋,2018・5)を引用され、その問いに対する結論という形で述べています。昨年、気象学会・気象学史研究会の廣田勇・京大名誉教授に「野中千代子は気象学会に入会を申し込んで断られた、と新田次郎の小説にあるのは、事実でしょうか?」と質問したところ、学会事務局に問い合わせてくださり、事務局の「個人情報なので教えられない」という回答にもめげずに、藤部文昭・首都大学教授にも調査を依頼され、その結果、藤辺氏は1923年の『気象集誌』総会記事の中の前年度物故者名簿に野中千代子の名前がないこと、1955年の『天気』掲載の佐藤順一による「野中到追悼文」の中に「・・・明治28年ごろから千代子夫人と共に気象学会会員になっておられたが」という記述があることを調べて下さいました。しかし千代子の没年に誤りがあったり心配な点があるなどの指摘もされています。

 あっさり出た答えは、平凡社ライブラリー『富士案内・芙蓉日記』(2006)の編者大森久雄氏と情報交換されたことによります。1895年(明治28年)の大日本気象学会会員録に二人の名前が載っていたことが判明したのです。

DSC_2397
 二人の名前が載った大日本気象学会会員録 (明治29年12月、通常会員(在東京)の一部、なお明治28年のものは大森氏が確認)

 なお、名前の「至」と「到」については、ご本人も1900年頃までは「至」と信じておられたようで、その後、「到」(戸籍名)に替えられたようです。(山と渓谷社、1949)。「千代子」については、戸籍名「チヨ」に沿って気象学会会員録は「千代」ですが、名刺には「千代子」とあり、こちらを使っておられたようです。本HPは、現在のところ、勝氏の同意も得て、「到」「千代子」を使っています。

 新田次郎の『芙蓉の人』は名著であってもあくまでフィクションを多く含む小説であり、例えば、二人が山にこもることは当時の新聞報道などで広く知られていた事実があるのに、あえて身内以外に秘密になっていたことにしたり、8歳で尋常小学校3年まで健在であった長女園子氏を、二人の滞頂中に2歳で亡くなったことにするというフィクションを加えています。
 
2018年08月18日15時44分17秒
 野中園(8歳)
CIMG2490
 野中園 尋常小学校第二学年の修業証書(明治34年)

 山本氏の論文では、それとは対照的な大森氏の綿密な取材を紹介して、歴史資料としての『富士案内・芙蓉日記』の編集や、それに先立って執筆された『野中到』“富士案内”(明治34年8月春陽堂刊)、新選復刻日本山岳名著 解題』(大森、1978)などの歴史的な価値が大きいことを述べています。和田雄治氏について、小説とは違った見方が可能かもしれないという指摘もあります。 

 そしてさらに、「千代子は登山直前になぜ気象学会への入会を求めたのであろうか」という疑問に踏み込んで、次のように推測しています。
到は富士観測に当たり気象測器を中央気象台からすべて貸与され、観測を委嘱されていた。まったくの私人である到にそのような支援を与えるには、大日本気象学会会員という肩書が必要だった。千代子も観測に加わる以上、学会員であることが必要と感じたのであろう。和田は、受け取った手紙を即座に『気象集誌』に全文そのまま掲載するという、異例の対応でその気持ちに応えたのである。
 これは、まさに山本氏の卓見といえるでしょう。「新選女大学」の懸賞論文の一等になるような、聡明で思慮深い明治の女性であった千代子氏があえて入会を求めたのには、それなりの理由があってしかるべきです。なお、山本氏の調査によると、会員録には千代子氏の入会に先だって、女性と思しき名前もあり、気象学会は以前から、女性の入会を認めていたと考えられ、「思い込み」で判断することの危うさと、資料を調べることの大切さが伝わってきました。(この女性会員の件は今後さらに調べてみたいと思います)

 最後に、藤部氏が図書館で数百ページは優に超える文献に目を通された地道な調査にも敬意が表されています。電子化から漏れているものの中から「千代子の通信」などを見つけてくださった努力と、学会としての電子アーカイブ事業への提言も含まれます。

DSC_2341x
 準備していただいた大量の資料の一部

 以上が山本氏の論文に関するご紹介ですが、今回、野中氏を再度訪問して、沢山の資料を写させて頂きました。現在その整理を行っている途中ですが、今後『野中到・千代子資料館』に追加してゆき、資料館の再構成も含めて充実させたいと考えています。
(広報委員会)










DSC_2044
 8月25日5時48分、太郎坊の虹(撮影:増田純夫)


”9月4日16時過ぎ御殿場基地を閉所し,準備期間を含め2個月半拠点にしたモン・ソレイユ201を退去しました.

 これで,太郎坊での観測や山頂での通年観測を除き,本年度夏季観測の山頂および御殿場での活動を終えることになります.
 今年も無事故で終了することができました.伊倉さん,大胡田さん,山頂班および御殿場班の皆様,関係会社の皆様,参加いただいた皆様に御礼申し上げます.今後ともよろしくお願いいたします.  事務局”
 
今年の夏季観測も山頂の閉所に引き続き、御殿場基地の閉所で完全に終了しました。御殿場閉所も台風21号が関西地方に上陸、御殿場線も止まる中で何とか終了しました。今年は、夏季観測全体を通して、台風にたたられた一夏でした。

IMG_20180824_175044_528

台風20号の影響で強風の山頂で撤収作業をする研究者(撮影:加藤俊吾)
IMG_20180824_180015_017
暴風雨の中での撤収作業(撮影:加藤俊吾)

  8月23日に予定していた大気化学などの大量研究機材の荷下ろしは、台風20号の影響が早く出始め、積込ができず、作業のために登った研究者たちの安全のため、全員下山ごく一部の機器だけを下ろす緊急事態になりました。

 その結果、再度25日に再び荷下ろしをすることになりました。このブルの運航は前回のブログのGPS付き遠距離通信で示しましたが、激しい風雨の中でブルを待っていた人たちには、事務局からの画像での確認が大変役に立ちました。

IMG_20180825_100014
 
8月25日、大量の機材をブルに積み込む(撮影:山頂班千田敦司)


DSC_2411
  9月5日、東京事務所に戻ってきた荷物

 台風に何度もたたられ、いろいろ苦戦した夏期観測でしたが、何とか無事終了、事務局には山頂や御殿場から戻ってきた機材が積み上がっています。

 このページのトップに載せた太郎坊の虹は、2度目の下げ荷が完了した時に太郎坊に出たもので、写真には見えないですが3重の美しい虹だったとか、これが来年につながることを祈っています。

(広報委員会)

toomuch

Romantic Geography をテーマに、 都市とそこに集う人々との間にある物語に焦点を当てるTOO MUCH Magazine。アート、建築の話題を中心に、ヨーロッパ、北米等で多くの読者に親しまれています。
今号は「シェルター」特集。  日本全国を家を背負って旅するアーティスト・村上慧、バックミンスター・フラーのジオデジックドームを新しく再現したTHE NORTH FACE、坂茂が難民のためにデザインしたケニアの住居など。
B5サイズ 260ページ 日本語訳冊子付き
Magazine of Romantic Geograsphy という不思議な英文雑誌から、旧富士山測候所のレーダードームの写真の提供を編集長の辻村慶人氏から丁重な依頼を受けたのは5月下旬のことです。
 
拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
このたび弊誌「TOO MUCH Magazine」では,次号8号(2018年6月15日発売)におきまして「シェルター」特集を企画しております。つきましては、貴機関のご協力を賜りたくお願い申し上げます。下記の企画概要をお汲み取りいただき、ご検討いたただきますようお願い申し上げます。
 
■媒体概要
掲載誌: 『TOO MUCH Magazine』8号 (2018年6月15日発売)
体裁: B5判(182×257mm)、カラー
発行: Editions Ok Fred
定価: 2,000円+税(予価)
言語: 英語(国内販売には日本語訳付)
*主に国外の書店、美術館、アートショップなどで販売しております。
 
■特集概要
本特集では、建築のもっとも根源的な機能のひとつである「シャルター」機能に注目し、被災地や極地での活用から、古今東西の「シェルター」にまつわる建築作品、またその背後にある考えを紹介しながら、建築が持つ新たな可能性を探りたいと考えております。
 
■依頼内容
次号の中で、アメリカの建築家、バックミンスター・フラー氏のジオデジックドームについて記事にしております。その中で、ぜひ富士山測候所にありましたレーダードームについても紹介させていただきたく思い、貴機関がお持ちの写真を使用させていただきたくお願い申し上げる次第であります。

早速、佐藤監事にお願いして測候所時代の写真の中から、外国向けを意識して「レドームの横で風になびく鯉のぼりが映った画像」を送りました。とっておきの一枚と自信を持って送った写真でしたが、いただいた返信も「すごく良い写真ですね。これ以上の写真はありません!」でした。

DSC_2403
 TOO MUCHに掲載されたレドームと風になびく鯉のぼりの写真(撮影:佐藤政博監事)

すっかり忘れてしまっていた8月末に、事務局に送られてきたのがトップの写真の分厚い英文の雑誌です。オールカラーで贅沢な240ページとFOOD1971-74というレシピーのページからなる、おしゃれな、それでいてずっしりと重い冊子です。

Shelters 特集には、①綱を解かれた家(壁、ドア、屋根と旅をする)、②A feather makes a fine shields: Light weight domiciles for nomads and refugees (「羽根で作られた隠れ家;逃亡者と流浪の民のための軽量の家」というような意味でしょうか)、その中に、Life inside a polygon sky (多角形の空の下の生活)として多くの多角形ドームが紹介され、その一つとして、佐藤さんの写真が載っています。

写真のキャプションは意訳すると:<<富士山頂に1965年に設置された富士山レーダーは太平洋で発生する台風の進路を予測し、35年間にわたって山頂で活躍した。2001年にレーダードームと関係する機器類は山梨県・富士吉田市のレーダードーム館に移設された。写真は佐藤政博による。NPO法人富士差山測候所を活用する会に感謝する>> とあり、残念ながら、「5月の鯉のぼり」についての言及はありませんでした。

Shelter の中には多くの避難所についての写真もあり、東日本大震災の被災地の、シーツで仕切られて体育館の避難所風景もあります。

豊富な写真の美しいアレンジの最後にアーカイブコーナーがあり、南極昭和基地のYoshio Yoshida氏による詳細な紹介もありました。1955年以来の建設の歴史などを中心に過去の昭和基地について詳しく述べられています。


DSC_2410
 A Research Station in Anti Arctica (by Yoshio Yoshida)

富士山測候所を利活用する本NPOの活動もいつか取り上げて頂けるとよいと思いました。

(広報委員会)





DSC01701
「今年最後の金曜日、一寸だけ賑わいが戻りました」岩崎山頂班長から、閉所の日の早朝(5時21分)の山頂


10時35分 商用電源切断。
10時53分 閉所。
これから下山します。
山頂班長
8月31日山頂班長から電話連絡があり、これで本年7月1日から62日間の第12回目の夏期観測は無事に終了しました。

今年の利用者は延べ415名で29プロジェクト(継続事業:21、新規事業:8)が実施されましたが、いずれも昨年を上回りました。新規の事業が8件もあり、事業数が拡大傾向にあるのは何よりよろこばしいことです。

graph
2018/09/01 (ニュースリリース) 富士山測候所は8月31日に閉所し、62日間にわたる夏期観測活動を終了

通年観測や火山課に関わる観測が定着したことに加えて、GPSを組み合わせた微小電力による長距離通信の実証実験(ソニーセミコンダクターソリューションズ)が行われ、台風後の実験装置の荷下げ等で活躍するなど、実り多い夏期観測でした。

114620180825x
 暴風雨をついて降りてくるブルの位置が、事務局のパソコンの画像で刻々把握

詳しい内容は今後、研究速報などをホームページに公開し、また、研究内容はそれぞれの研究者の所属する学会やシンポジウムなどで発表されます。
(広報委員会)


 

このページのトップヘ