太郎坊のそよ風

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会 オフィシャルブログ

2019年10月


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環境新聞に掲載された大河内先生の記事


2019年9月に行われた大気環境学会第60回年会(9月18日-20日)において9月20日に早稲田大学・大河内博教授による「大気中のマイクロプラスチックの研究を始めませんか?」という口頭演説が環境新聞※)10月1日号に取り上げられました。この話題はでは、大気環境学会の報告のブログのなかで、一度取り上げましたが、まさに、これから大気環境研究で問題となる重要なテーマです。提案者の大河内教授の先見の明はいくら強調してもしすぎではないので、環境新聞掲載を機に下記のスライド共に再度取り上げます。



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 以前にもご紹介しました大河内先生の講演会のパワーポイント


海洋中のマイクロプラスチックについては、メディアなどにもに取り上げられ、多くの人に知られてきています。
しかし、大気中のマイクロプラスチックに関してはまだまだです。

陸地の大気の物質が雨水に取り込まれ、湖沼や河川になり、やがて海に辿り着きます。

大河内先生の声が、多くの研究者に届いてさらなる研究が進み正確な地球の現状が把握され、持続可能な社会への近道と繋がって行くことでしょう。

(広報委員会)

※)環境新聞
環境新聞社が発行している新聞。1965年(昭和40年)11月に、公害問題や衛生問題に対して、紙面を通して快適な生活環境づくりの役に立ちたいとの一念から『環衛公害新聞』が創刊。1970年(昭和45年)の公害国会並びに環境庁発足という時代の動きに呼応する形で、1971年(昭和46年)に『環境公害新聞』、地球サミットとも呼ばれた「環境と開発に関する国連会議(UNCED)」が開催された翌年の1993年(平成5年)には『環境新聞』へと改め、グローバル化する環境問題を適切に捉えるべく努力をしてる。

読者数:74,000部 発行日:毎週水曜日(月4回発行

(環境新聞社 HPより)










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2019年9月1日に佐渡島で行われたトライアスロン完走証を持った加藤先生(夏期観測反省会の懇親会席上で)

加藤俊吾理事(首都大学東京・准教授)が、先日の運営委員会で学術科学委員長に選出されました。2007年の最初の夏期観測からずっと毎年参加して、オキシダントなど基本的な大気化学成分の観測を続け、そのデータの公開で研究者全体の利用に貢献してこられましたが、来年からは山頂研究の中心を担われることになります。

いつも物静かで控えめ、シャイな感じのする加藤先生ですが、実は知る人ぞ知るトライアスロンの「鉄人」なのです。

トライアスロンは、1日でスイム (水泳) ,バイク (自転車) ,ラン (ランニング) を行ない,3種目の所要合計タイムを競う競技ということですが、中でも佐渡国際Aタイプ(ロング)は国内最長のコースで、最も人気が高い大会といわれているそうです。

その内容が半端ではありません。
  • スイム(水泳)    4.0km=50㍍プールを40往復の距離
  • バイク (自転車) 190.0km=東京ー静岡間(180㌔㍍)よりも10㌔も長い距離
  • ラン (ランニング)42.2km=フルマラソンとほぼ同じ距離
  • トータル       236.2km
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トータル236㌔㍍は、東京から東海道新幹線で行くと静岡の次の掛川を超えてしまう距離になります。早朝6:00に水泳でスタートし、自転車、そしてランニングが完走し終わったのがなんと夜の7時38分だったとのこと。

今回スタートした人は1008人、完走者734人(完走率72.8%)でしたが、加藤先生の総合記録は13時間38分34秒、堂々の260位です。

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 佐渡国際トライアスロン(Aタイプ)完走証。総合260位とあります  


夏の間に富士山頂でおこなっていた作業が高所トレーニングになっていたので、無事完走できました。
 (加藤俊吾) 

ここでも控えめな加藤先生らしいコメントです。そういえば、この夏期観測では加藤先生は6回も富士山頂に上がっていますが、密かに高所順応トレーニングも兼ねておられたのでしょう!? これからの山頂研究にもこのパワーが生かされるに違いありません。

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 トライアスロン専門誌『Triathlon LUMINA』最新号の写真。指さしている赤い帽子のランナーが加藤先生

(広報委員会)

※なお、トライアスロン専門月刊誌『Triathlon LUMINA』No.63 (2017年1月) に「大気を観測する研究者とトライアスロンとの意外な接点」と題して、加藤俊吾・首都大学東京准教授の記事が掲載されました。

【関連記事】


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夏の観測が終わって初めての運営委員会(通算104回)は12名の理事、監事1名、事務局3名の出席で東京理科大学ポルタ7階で行われました。短い時間ながら今後のNPOの運営に関する活発な議論が行われました。

引き続き、夏期観測の「反省会」が観測に参加した関係者を加えて、同じ場所で17時20分まで、29人の参加者で行われました。運営委員会で新たに学術科学委員長に選任された加藤俊吾・首都大准教授が司会。各自の自己紹介に続いて、今年の山頂での問題点などについて事前に回収したアンケートを加藤先生がまとめたものについて、意見が出されました。
  1. 登山計画: 事務局体制の問題点、計画書様式の改良、トライアルグループの今後など
  2. 山頂 (生活一般): インレットの利用、低酸素・低温という環境での作業など
  3. 御殿場基地: 御殿場基地の在り方、駐車場問題など
  4. 来年度への要望
最後に、広報委員会・片山葉子委員長から、NPOの重要な業績である研究発表情報に関するお願いがありました。

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恒例の懇親会で締めましたが、当日オープンキャンパスで市民講座も担当された忙しい理科大・三浦和彦教授のアレンジで16名が集まり、賑やかに今年の夏期観測の締めくくりとなりました。

なお、反省会の翌日、今年初めて参加されたY氏より事務局に以下のメールが寄せられましたので、ご紹介します。これまで13年続けてきた夏期観測について、私たちの気づかなかった角度からのご意見であり、今後の山頂管理運営のあり方を検討するうえで貴重なヒントになりそうです。

今回の反省会の内容も参加する人の意識の相違から、色々なご意見があったと感じます。

私自身が感じたことは、富士山測候所を活用する会事務局がホスト側、研究者がゲストとの認識が強く、考えの相違が生まれたのではないかと分析します。

災害時の避難所開設に例えるなら、避難所開設する人も被災者避難してくる人も被災者です。避難所運営が上手く行っている場所は、避難してくる被災者がホスト側に立っているところです(同じ被災者なのでみんながホストでゲスト/お客様ではない)。従って、高所(極地)での研究者もホストであるべきでありゲスト(お客様)ではないということです。

各研究者も研究内容を深掘りするように、最低でも富士山頂での作業はリスクが伴うことを理解し、『安全の手引き2019』を熟読した上で参加すべきと思いました。参加者全員がホストの気持ちを持てば、それらのご意見は必ず減少すると仮定できると信じています。

ご参考になれば幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。


(広報委員会)
 


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  宮城さんが大切に育てたたった一つ生った茄子

今年の御殿場事務所は初めて、一軒家を借りて通年で観測の基地にも使うという構想で始まりました。富士山が正面に見える2階では富士山環境研究センターの観測装置がすでに稼働していますが、御殿場市新橋の住宅街にあるこの事務所は、大家さんが丹精された裏庭もあります。
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    御殿場市新橋の新しい御殿場事務所
御殿場のナス
  裏庭を利用して、御殿場班は茄子とキュウリの栽培に挑戦しましたが・・・


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  川原シェフによる焼きナスは市販の茄子よりもぐっと濃い味がしました

8月31日、山頂の観測を終了して下山した山頂班の皆さんを迎えて、宮城さんが今年唯一の成果を収穫して、山頂班の川原シェフが焼きナスに調理して関係者ひと口ずついただきました。東京事務局から事務連絡に行った鴨川事務局長と土器屋もお相伴に預かりましたが、市販の茄子よりぐっと濃い味がしました。

今年の御殿場は例年と違って、部屋も多く、居住性もよくなり昨年よりも多くの利用者があった模様です。その分御殿場班も大変ですが、今年は東京事務局のピンチを山頂班と協力してカバーしていただけたと思っています。
 (広報委員会)



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庁舎の近くで発見した古銭 “十銭”、大日本”“昭和十五年”、と書いてある。


今年の夏期観測でのお話。
8月24日山頂に滞在して、微生物サンプル採取の時に庁舎すぐそばで発見しました。
表には“ 十銭  ”、裏には“大日本 ”昭和十五年
と書かれたアルミ貨幣を見つけたのは、静岡県立大の村田浩太郎博士です。

これは何でしょう? ということになりました。
「お賽銭かもしれない。」と同行の静岡県大・鴨川先生の発言もあったとか。

古来より富士山は信仰の対象であり、そのための登山が行われていました。
その内容は、梶山沙織著「第2章 富士山頂の信仰の世界」
(『日本医一の高所富士山頂は宝の山』しずおかの文化新書、p98-147、2016)に詳しいので、ここに少しご紹介します。

著者の梶山沙織氏によると、

「 富士山は長く信仰の対象とされてきた。
室町時代作とされる『絹本著色富士山曼茶羅図』には山頂部分に散華とともに三体の仏の姿が描かれ、山頂は仏教の世界として表されている。
『本朝世紀』(1149)には、末代上人()が山頂に大日寺を築いたとあり、
当時既に富士山の仏は大日如来とされていたことがわかる。
1269年成立の『万葉集註釈』に「いただきに八葉の嶺あり」と記され、
中世には八葉を富士山頂に当てはめる思想のあったことがわかる。
この「八葉」はとは仏教の曼荼羅をうけたものである。」
*末代上人 <まつだいしょうにん> 富士山信仰に深くかかわる人物と言われている。
と記されています。

八葉が具体的にどの峰に対応するかなどは諸説あるようですが、
以後「八葉めぐり」が定着し、「お八」転じて「お鉢」めぐりになったというのが定説とのこと。

八葉
         剣ヶ峰山頂より見た富士山頂Wikipedia から引用)



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 1980年代のテレカより  (黄色矢印は村田さんが拾った場所)
  http://npo.fuji3776.net/museum/teleca.html
 

梶山氏によると、
武田信虎が「八葉メサルル」という記述が『妙法寺記』(1522)にあり、
すでに、戦国時代にはひろく行われていたと考えられるとのことです。

また、
「山頂南部の大宮・村山山頂部には、大日如来像を祀る大日堂があり、
その西側の火口を見下ろす位置には“拝所”があった。
“影拝所”や“初穂打場”とも記されている。
登山者はここでご来迎(ブロッケン現象)を拝み、火口(内院)賽銭を投げ入れた」
と記されています。
この風習がその後も続いたようです。

このお賽銭をめぐる権利関係は、
中世から近世の国境(くにざかい)や、地元の利害を背景にいろいろの問題を生み、
村山興福寺、大宮(現富士宮)の浅間大社を含む、複雑な様相を呈していました。
明治になると、1868年の神仏判然令(廃仏毀釈)による1874年の「富士山大掃除」で、山頂の仏像類が撤去され、大日堂は大日如来の代わりに浅間大神が祀られるようになりました。

この間の紆余曲折など興味のある方は、梶山氏の上記の著作を是非お読みください。

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     臨時補助貨幣(Wikipedia より)
なお、Wikipedia によると、https://ja.wikipedia.org/wiki/臨時補助貨幣#昭和15年_-_18年制定のアルミニウム貨幣



臨時補助貨幣(りんじほじょかへい)とは、戦局悪化に伴う貨幣材料調達事情による様式変更を、勅令(後に政令)を以って臨機応変に対応可能とした「臨時通貨法」(昭和13年法律第86号)の下、日本で製造され発行、流通した補助貨幣の総称である。
1988年(昭和63年)の「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(通貨法)」(昭和62年法律第42号)施行に伴い、臨時通貨法が廃止されると共に、臨時補助貨幣も、一部を除いて貨幣と見做されることとなった。


この貨幣が使われていたのは昭和15年(1940)から昭和63年(1983)までの間とのことで、終戦を挟む時期に使われていたようです。

さて、村田さんが発見したお賽銭は
誰が、いつ、どういう祈願と共に投げ入れたものだったのでしょうか?

いつの時代になっても、人々は大切な想いを託して、
富士登山に挑んでいたのではないかと、この古銭から伝わってきます。


(広報委員会)


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