太郎坊のそよ風

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会 スタッフブログ

カテゴリ: 歴史


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「レクリエ」7・8月号に掲載された今日は何の日(8月30日)の紙面。測候所の写真は佐藤政博監事が提供


 あすは何の日・・・ 富士山測候所 スタート

8月30日
 1895年のこの日は、気象学者の野中到氏が富士山山頂に自費で測候所を開設。1932年から通年観測を始めた気象庁の富士山測候所の前身となった。新田次郎の小説「芙蓉(ふよう)の人」には千代子夫人とともに越冬観測に挑んだ物語が描かれ、2005年秋には静岡県御殿場市に夫妻の顕彰碑が建てられた。

測候所は04年秋に無人化された。NPO法人富士山測候所を活用する会の土器屋由紀子さんによると、大気や永久凍土などの研究で多い時で13人の研究者が7月から滞在。31日に全員下山する予定という。(中野真也)

ー2008年8月29日の朝日新聞夕刊の「あすは何の日」より

2008年記事(400bb)

夏期観測2018も大詰めを迎え、明日31日には山頂の電源を落とし、62日間にわたる観測を終えて山頂班が下山します。ところで、今日8月30日は、知る人ぞ知る「富士山測候所の記念日」です。1895年のこの日、気象学者の野中到氏が富士山頂、剣ヶ峯に自費で測候所を開設した日にちなんでいます。

上の朝日新聞の記事に取り上げられた10年前は、新田次郎の小説「芙蓉の人」が先駆者を知る唯一の足がかりでしたが、その後、歴史資料の収集も始め、その中で、野中到氏の「富士観象台」構想には気象のみならず広い分野での富士山の科学的活用法が記されているなど、私たちのNPOと同じ志を既に100年前の先駆者が持っておられたことを知りました。

NPOとしての活動を続けている過程で、昨年11月には思いがけなく野中到・千代子ご夫妻の孫にあたる野中勝氏の知己を得て、貴重な資料を見せていただくことができ、そして、先日(8月18日)も気象研究所の山本哲氏、NPOの佐藤監事と土器屋が、再び、逗子の野中家を訪問し、前回を上回る多数の資料の写真撮影やスキャニングをさせていただきました。

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(御殿場市野中山にあった別荘にて。大正12年(1923)関東大震災で建物が倒壊するまで、ここを拠点として富士山の気象観測が続けられていた)

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 野中到氏の構想にもとづく「富士観象台」の設計図と模型

当日は、前回もお会いした蔭山幸子様(野中到・千代子ご夫妻の孫にあたる方で勝氏の従姉)や野中勝様のご子息・野中大様ともお話しできました。資料は目下整理中ですが、追々「野中到・千代子資料館」に追加して整理して行こうと思いますので、ご覧いただけると有難いです。

(広報委員会)



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(左)野中山入口の標識 (右)野中到・千代子顕彰碑と佐藤政博監事(元富士山測候所長)

8月1日午後、太郎坊で無事に爆弾処理(山頂のトイレ廃棄物をこう呼んでいます)をすませた御殿場班宮城さんにお願いして、佐藤監事と土器屋は帰り道に野中山の「野中到・千代子顕彰碑」と御殿場市に新しくできた「樹空の森」を見学しました。

顕彰碑の隣の説明文には
野中到は慶応3年(1867)現在の福岡市に生まれ、明治25年(1982)同卿の千代子と結婚。
気象研究の道に進み、高層での観測の必要性を痛感し、明治28年(1985) 富士山頂剣ヶ峰に、自費で木造6坪の観測所を建て、妻千代子と共に富士山頂冬季気象観測を実行した。
この壮挙は中央気象台(現在の気象庁)による「富士山頂観測所」の建設の礎となった。
その後、野中到は富士山が展望できる現在地(当時の通称は滝が原山王塚)に別荘を建て、大正12年(1923)関東大震災で建物が倒壊する頃まで、ここを拠点として、富士山の気象観測を続けた。
いつしか、この地は地域の人々から「野中山」といわれ、紅葉の名所としても知られるようになった。この山のカエデは野中到が京都から取り寄せ、別荘の庭に植えたものと伝えられている。

                                                平成17年11月吉日
                                                       御殿場市市制施行50周年記念
                                                       野中到・千代子顕彰碑建設委員会

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と書かれており、御殿場市制施行50周年行事の一環だったことが分かります。

また、碑文は当時の気象庁長官長坂昂一氏の書とあります。本NPO法人の前身であった「富士山高所研究会」のメンバーとして、測候所有人観測の継続をお願いに、何度も交渉に行った長官のお名前を発見して驚きました。

野中山は23号線を太郎坊から御殿場に向かう左側の、「桜公園」から曲がるとすぐのところにあり、道路標識もあります。ほぼ同じ高度を右に曲がり、数分ドライブすると御殿場リゾート「富士の郷」があり、その中に「樹空の森」ビジターセンターがそびえています。

樹空の森看板

センターはガラス張り3階建て、2階の展示室「天空シアター」には、「富士山気象観測にかけた夢」のコーナーがあり、「富士山と雲(阿部正直)」「山頂にかけた夢(野中到・千代子夫妻)」「山頂観測への情熱(佐藤順一やレーダードーム建設にかかわった人々)「宝永の大噴火(火山弾、火山灰の実物展示)」などのコーナーがあります。

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また、屋外の施設も広く、ふれあい広場の横には、富士山測候所最後の雪上車が展示されています。

最後の雪上車
 富士山測候所最後の雪上車、有人観測時代は冬の通勤や物資の運搬に活躍

12年目を迎えたNPOの夏期観測ですが、その間通い続けた御殿場基地と太郎坊の間に今まで知らなかった、名所を発見出来て、御殿場市もこの間大きく発展したことを知りました。

(広報委員会)

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 記事が掲載された日本気象学会の会員誌「天気」(2018年5月号)

最近発行された日本気象学会の会員誌「天気」(2018年5月号)の「情報の広場」に”『野中到・千代子資料館』をホームページにオープン”と題した土器屋由紀子理事の記事が掲載されました。

「野中到・千代子資料館」をホームページにオープン

土器屋 由紀子

まだ成層圏の存在すらわかっていなかった19世紀後半,「天気は上空から変わるのなら日本一の高山・富士山頂で観測を行えば予報ができる」と考えた野中到氏(1867~1955)は,私財を投じて山頂に気象観測のための小屋を建てて越冬観測を計画した.自ら手伝うために夫を追って登山した千代子夫人(1871~1923)との82日間の滞頂観測(1895年10~12月)は,「富士山頂」(橋本英吉,1948年)など多くの小説にも取り上げられており,その後,気象庁の富士山測候所設置の基礎となった.

筆者らは2005年に「NPO法人富士山測候所を活用する会」(理事長:畠山史郎)を結成し,気象庁より測候所の一部を借り受け,夏季に研究・教育のために開放する活動を10年以上続けている.この間,東京のNPO事務所には富士山測候所の歴史に関する問い合わせも来るようになり,必要に応じて調べていたところ,昨年(2017),到氏の孫にあたる野中 勝氏の知己を得て,その遺品などの寄贈,写真提供などを受けた.その中には「富士山巓の観象臺」への勧誘冊子(1900年)もあるが,欧米の高山研究施設(墺国ヅンブリック山,北米ワシントン山など)への言及や,気象以外の研究分野も含まれる高所研究施設としての構想は,驚くべき先見の明と言えよう.

また,この交流を通じて,歴史資料の大切さを痛感した.できる限り出典を明らかにして,広く閲覧に供するため,野中 到・千代子夫妻の記録や遺品の写真などを,遺族や関係者の許可を得てホームページ上に公開をはじめた.http://npo.fuji3776.net/museum/nonaka.html

現在のところコンテンツは以下の通りであるが,今後,情報が入り次第追加を予定している.

  • 廣瀬洋一氏の贈り物 :山岳気象研究の草分け,廣瀬 潔氏の長男洋一氏が2009年に NPOに寄贈された書籍などで,野中 到との関係も記されている.
  • 野中 勝邸訪問(2017年11月26日)
  • 「富士山」:(深田久弥編著,1940年,青木書店)廣瀬洋一氏寄贈.著作権者の了解を得られたものからアップしている.
  • 富士山巓の 観象臺
  • 野中千代子は気象学会の会員だった!?
  • 野中 到の著書:地学雑誌,気象集誌などから許可を得てダウンロードした pdf
  • 野中 到・千代子がモデルになった小説など
ご意見や新しい情報など歓迎する.

ー「天気」(2018年5月号)の「情報の広場」 

ウェブサイト(掲載記事のPDFダウンロード)
http://www.metsoc.jp/tenki/pdf/2018/2018_05_0058.pdf

なお、「天気」のウェブサイトはどなたでも無料でアクセスできますので、より多くの方に多くの記事をお読みいただけるよう、「天気」編集の方からもご連絡がありました。こちらからは、記事検索→2018年(Vol.65)→No.5とクリックすると、掲載された天気Vol65,No.5の記事一覧が表示されます。
http://www.metsoc.jp/tenki/

このNPOのスタッフブログは富士山測候所の歴史に関する情報も収集しています。
みなさまのご意見、コメント、ご質問などのご投稿ををお待ちします。

(広報委員会)

前回のブログ「宇宙誕生の歴史の倍の時間で1秒の狂い!?・・・・」の香取先生のお話の枕に「伊能忠敬の測量への言及」と書きましたが、伊能忠敬没後200年に当たる今年、いろいろな会合が開かれています。その一つの「測量協力者顕彰大会」に、たまたま出席したご縁でいただいたのがこの写真です。

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伊能忠敬研究会に、写真や情報の本NPOでの使用について問い合わせたところ、研究会事務局の戸村茂昭様から懇切なメールを頂きました。ここでその内容を含めて伊能忠敬の「富士山の測量」についてご紹介します。

戸村氏によると、「上の地図は美的な価値としては意味があっても、 伊能測量の科学的な価値の評価の点では片手落ち」だと言われる恐れがあるとのことです。(なお、この絵の頂上の位置は地図としての富士山の頂上の位置とのことです)

先日(6月6日)のNHK 総合TV 「歴史秘話ヒストリア」の中でも紹介されていましたが、伊能図には縮尺によって大図と、それを編集・縮小した中図、小図の3種類があります。

「大図」(1:36,000、214枚):山岳などは絵画風に描写されている。記号の利用は少ない。
「中図」(1:216,000、8枚) :記号が多く用いられている。
「小図」(1:432,000、3枚):   同上
(鈴木純子、「伊能図の世界」、「伊能忠敬日本列島を測る(前篇)」p30-38、伊能忠敬研究会、2018)

今回頂いた上の写真は大図の一部からのものとのことです。

「中図」によると、「大図」では分からなかった新たな2つの視点が顕著に現れていると戸村氏は指摘されます。(1)朱色の測線が富士山の周りをグルリと一周している。これは、廻り検知という方法を実践した証拠。(「廻り検知」とは、測量しながら、ぐるりとまわって最初の地点に戻った時、最初の測定値と比較して誤差を確認する方法)
 (2)富士山の頂上から沢山の方位線が放射状に描かれているという点。 これは、伊能測量の羅針として、天空は北極(緯度の羅針)としたのに対し、 地上では富士山(方位の羅針)とした証拠。
http://www.inopedia.tokyo/02dataRm/region/06/

このように、伊能測量隊にとって、広範囲の地点から見通せる高い山である富士山は方位の目安として、多くの場所から測定されています。史料「山島方位記」にもそのことが書かれております。また、高さについても、

 西倉沢村からの測定で、3732.72m、 吉原宿からの測定で、3660.00m

等の現在の値(3776m)と非常に近い値が示されていることに驚きます。

これらの値は、下図に示す原理を用いて仰角の精密な測定を行い、換算されたものです。 また、戸村氏によると「富士山の方位は頂上・剣ヶ峰一点だけでなく、「右」「中」「左」の三点迄区別した方位を測っている」とのことです。伊能測量隊の技術と、絶え間ない精度向上の努力を物語っています。

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(戸村茂昭、「富士山の高さを伊能測量ではどのように求めたのだろうか?」、伊能忠敬研究 74 号、6-8、 2014 )

伊能図についての興味は尽きませんが、伊能忠敬研究会のホームページに、富士山だけでなく日本各地の詳細なデータがありますので興味のある方は是非ご覧ください。
http://www.inopedia.tokyo/02dataRm/region/05/
http://www.inoh-ken.org/

(広報委員会)
  

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ホームページの「バーチャル博物館」に新たに「野中到・千代子資料館」を追加


明治28年、富士山測候所のさきがけとなる山頂での冬季観測を創めた、野中到・千代子ご夫妻の名前は、同測候所に関心を持つ方ならご存知のことと思います。昨年12月、不思議なご縁でご夫妻のお孫様である野中勝様と蔭山幸子様のお宅を訪問してお会いすることができました。

このときに貴重な証言と資料に接する機会をいただきましたが、このことはNPOの会報誌『芙蓉の新風』Vol.12(2018.1.31発行)に『富士山測候所の歴史を訪ねて』と題して、紹介しました。この記事に関してはいくつかの感想が寄せられましたが、その中で、野中勝様から下記のメールには感動しました。

『芙蓉の新風』届きました。 薄いのに読みごたえがあります。 その中で、逗子の事でこんなにスペースを割いて頂き、恐縮しています。

そこにも書かれているように、資料の整理と保管方法に問題があります。 頭の痛いところです。巻末に資料の公開の希望がありますが、全く異存はありません。 この会報には去年の、実に多岐にわたったプロジェクトが掲載されていますが、こうして拝見すると改めてあの場での活動の重要性が思われます。

面白かったのは、去年御殿場で行われたACPM2017の記事です。 このイベントの事は、会報を拝見するまで申し訳なくも知りませんでしたが、実に熱気あふれ、また臨場感のある記事に思わず読み入ってしまいました。 又、桜島の火山ガスを富士山頂で検出されたというのも驚きでした。

この会報を手にして最も感じたことは、測候所の活用に対する情熱が10年たっても全く衰えていないどころか、ますます盛り上がっているという事でした。 貴重なものをお送り頂き有難うございました。


ACPM2017やNPOのメンバーの活動に対する温かい評価にもっと頑張らなければと思っています。また、「資料公開の希望がありますが、全く異存はありません」とのことで、現在広報委員会と事務局で検討中の「バーチャル博物館」の「野中到・千代子資料館」構想に弾みが付きそうです。

バーチャル博物館」はホームページのコンテンツのひとつで、富士山測候所に関する歴史、関連資料などを展示しています。ここに「野中到・千代子資料館」のコーナーを新設し、野中到・千代子に関する資料を収集・展示しようというものです。

当面(関係者の許可を得て)入力したものは下記のとおりです。「気象学会の女性会員第一号が野中千代子さんだったかどうか!?」などに興味を持たれた方はぜひご覧ください。

今後、資料を追加してゆきたいと考えておりますので、ご協力よろしくお願いいたします。


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バーチャル博物館の「野中到・千代子資料館」

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