太郎坊のそよ風

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会 オフィシャルブログ

カテゴリ: 模型・ジオラマ

ジオラマ『よみがえる富士山測候所』チラシ resize
先のブログ『よみがえった富士山測候所ジオラマ…10年振りの改修工事が完了』(2022年3月3日) でご紹介したジオラマは3月中旬にNPO事務所に届き、チラシも遅まきながらできあがりました。日本最高地点の山頂には気象庁の旧富士山測候所の建物のほかにも、三角点やGPSの装置を収納する塔など様々な施設があり、その理解を深めるのに役立てればと思っています。そして、いまから120年前の観測所のことも・・・。


ジオラマは「出来事を切り取って三次元に表現した模型」(diorama. a model representing a scene with three-dimensional figures, either in miniature or as a large-scale museum exhibit - Oxford Dictionary)のことで「情景模型」とも言われています。実は富士山測候所のジオラマにはちょっとした仕掛けがしてあり、三次元(縦・横・高さの立方体)に時間軸を加えた四次元のジオラマとしてもご覧いただけるようになっています。
 

いまから約23年前(1999年)にレドームが撤去されて以来、現在に至る旧富士山測候所の1号庁舎は正16面体(ほぼ円筒に近い)を斜めに横切る平面の屋根で覆われています。ここは元々は1964年(昭和39年)から1999年(平成11年)までの35年間、気象レーダーが設置されていた場所で、球形のジオデシックドームで覆われていました。模型ではこの2種類の屋根を用意してあり、それを「着せ替え」ならぬ「載せ替え」をすることで、それぞれの時代の姿に変身します。

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(左)平斜面で覆われた1号庁舎は1999年から現在に至る(右)1964年から1999年までの35年間は気象レーダーが設置

 

さらに時間を一気に120年前にさかのぼって1895年(明治28年)、野中至が剣ケ峯に私設の小屋を建て越冬観測をした当時の山頂の風景はどうだったのか、文献やネットの写真などを頼りに、当時の野中小屋(観測所)をジオラマと同じ縮尺(1/200)で作ってみました。


幸い、当時の小屋の図面や寸法、防寒対策を施した建物構造などは、大森久雄編著『富士案内 芙蓉日記』(野中至・野中千代子(著) 大森久雄編、平凡社ライブラリー、2006)に詳述されています。また、建物とその周辺の写真やスケッチについても『野中至 (到)・千代子資料館』ほかのWebサイトに数枚残っています。


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富士山頂上剣之峰観測處 『富士名所』(明治33年7月19日印刷)野中勝氏所蔵 写真①


小屋は「木造の平屋にして南北三間(5.4m)、東西二間(3.6m)、棟の高さ九尺(2.7m)」とあります。屋根の勾配については「而して山頂は颱風(たいふう)の畏れあるがために寧ろ家屋の高からざらんことを要す故に、事情の許す限り力めて低くせしを以て屋根の勾配の如きも極めて緩に」としか表現されておらず、正確な角度はわかりませんが、①の写真で推し量ることができます。



観測所の構造

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観測所は木造の平屋にして南北三間、東西二間、棟の高さ九尺、桁廻りこれに称(かな)う、而(しこう)して梁桁、柱、土台は風雪に耐え得る限り截半(さいはん)し、一本にて能く二本の用を為さしめ、またその長さの如きも、運搬の便を図り過半六尺内外に止め数多(あまた)の貫(かんぬき)を以て組立て、入口窓及び寒暖計室を除くのほか三面皆嵌板(はめいた)にて密閉し、なおその外部を包むに硬石を以て畳みたる厚さ四尺余の石垣を以てす、一見銃眼を具えたる堡塁(ほるい)に異ならず、また背後の一面は岩石を破砕してこれに密接せしめたり、而して屋根は裏板の上に杉皮を三重に畳み尺ごとに押縁を之(ほどこ)し、これを数条の銅線を以て桷(たるき)に緊結し、なお蔽(おお)うに尺大の熔石数十塊を以てす、蓋(けだ)しこれらの装置は皆専ら風衝(ふうしょう)に備うるなり、(途中略)この地の地盤は表面総て熔岩の凝結したるものなるを以て、開拓敢て難事にあらず、然れども平坦の地とては元より一歩もあらざるを以て、初め出来得べきだけ掘下げ、以て一は背後の岩石をして成るべく家屋を抱擁せしめんとし、一は採掘したる熔岩を前方の斜面に掻出し石垣を築きてこれが崩潰(ほうかい)を防ぎ、力(つと)めて平坦の地を得んと試みしに、不幸にして左隅に岩石、右隅に氷塊の現出するあり、その大さともに計り知るべからず、到底手を下し難きにより、ここに掘下ぐることを止め、更に攪(かき)ならしたるに、僅に九坪の敷地を得たるを以て、乃ちここに前述の家屋を建設したり。屋内は三室に等分し、一室の占むる所二坪、而して北方にあるを器械室、南方に在るを居室兼炊事場となし、各西面に巾一尺高さ二尺余の一窓を備う。中間の一室は即ち薪炭室にして兼て南北両室の通路となす、而して入口の方向は元来東面を以て最上となすも、地形上止むを得ず薪炭室の西面に巾二尺余なる入口を設け、(途中略)要するに山頂常住の難易は一に家屋の構造如何に在り、家屋の構造完備せざれば到底観測上満足なる結果を得んことを望むべからず、故に今後好成績を得んと欲せば先ず充分なる家屋の建設最も急務なりとす

 『富士案内』P111 寒中八十二日間の観測記  より  

窓については「各西面に巾一尺(30cm)高さ二尺余(60cm)の窓を備う」とあり、スケッチにもその様子が描かれています。また、資料館のWebサイトには二代目富士山測候所長の藤村郁雄氏が建築工事の折に地下より発見したという窓枠の残骸のような写真も載っています。

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(上)野中氏私設測候所 西側に面した窓や入口の様子がわかる(下)野中観測所の窓枠?と思われる残骸。二代目所長藤村郁雄氏が本建築工事の折地下より発見( 野中勝氏所蔵)


こうして試作した観測小屋の200分の1の模型は縦横1.8cm × 2.7cm。「背後の一面は岩石を破砕してこれに密接せしめ」、「屋根は蔽(おお)うに尺大の熔石数十塊を以てす」というので紙粘土の石をちりばめました。ジオラマの中に置いてみると想像していたよりも小さく感じられます。

「不幸にして左隅に岩石、右隅に氷塊の現出するあり、その大さともに計り知るべからず、到底手を下し難きにより、ここに掘下ぐることを止め、更に攪(かき)ならし」生み出したというわずか9坪の平面。その上に建てられた6坪の小屋は3号庁舎の4分の1程度で、現在の2号庁舎と3号庁舎の間付近にあったと言われています。

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野中観測所
縮尺1/200で試作した野中観測所の模型


野中至は1895年の夏に剣ケ峯に小屋を建設、厳冬期の同年10月から12月までの85日間、この中で気象観測を続けました。試しに作った小屋の模型をジオラマに加えると、明治、昭和そして平成~現代までの3つの時代における観測所の姿形を見られることになり、「四次元のジオラマ」と称した所以です。


厳冬期の観測を身をもって体験した野中至は、瀕死の状態で救助されて下山した翌年から富士登山を再開し、理想の観測所の場所の選定にあたっていたことも『富士案内 芙蓉日記』には記されており、「その最も急要を感じたるは山巓(さんてん)に適当なる屋舎を建築するに在り」として観測所の建設を唱えています。しかも、その観測所は単に気象観測だけにとどまらず、星学(天文学)、生理学、地学、化学など広範な分野の研究に供したいという構想を持っていたこともわかります。

気象庁が使わなくなった旧測候所を、大気観測のみならず、雷、地震、高所医学などの研究観測の場としてよみがえらせた、NPО富士山測候所を活用する会の活動は、まさに野中至の想い描いていた夢を実現しているとも言えます。このジオラマから120年前の野中観測所に想いを馳せ、NPОの活動の原点としての野中至の偉業を再認識していただくきっかけになればうれしいですね。


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 富士山測候所の原点・野中小屋のあったと想定されている場所のイメージ。この写真では出入り口や窓はこちら(東側)を向いていますが、実際は「入口の方向は元来東面を以て最上となすも、地形上止むを得ず薪炭室の西面に巾二尺余なる入口を設け」とあるとおり、向こう側(西側)にしたということです。


(芙蓉日記の会&広報委員会)





認定NPO法人富士山測候所を活用する会とは


2004年に無人化され、いずれ取り壊しの運命にあった旧富士山測候所。

富士山測候所を活用する会は、この施設を国から借り受け研究・教育の拠点にしようという構想で、2005年に大気化学や高所医学などの研究者が主体となって立ち上げたNPO法人です。

また
富士山頂という厳しい環境の中、その修理費・維持費や、運営費など
年間3000万円という莫大なコストが掛かるのです。

しかしながら、資金面に関しては、
公的補助もなく研究利用費だけで運営しております。

そこで、皆様からご支援、会員になっていただき未来へ
つなぐ研究の手助けをどうぞよろしくお願いいたします。

本NPOは、認定NPO法人(認定NPO法人は全NPOの2%しかない)です。
ご寄付に関しては、控除もありますので詳しくはウェブサイトなどでご確認ください。




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夏を迎えて活気づく富士山頂。一般の登山客に混じって、測候所のあちこちでNPOの夏期観測の準備がはじまった・・・。太郎坊から観測機材、食料などを荷上げするブルドーザ、その荷物を手分けして庁舎に運び上げる山頂班と研究者。庁舎内では、学生らが荷物を開梱して機材のセッティング・・・いつもの夏の富士山頂の風景だ。


事務局に置いてあった『富士山測候所の模型』は、暫く間修複のため製作者の元に里帰りしていましたが、この度約2ヶ月にわたる「令和の大修理」が完了しました。

このジオラマの初代(今回のものは初代をお化粧直ししたものです)が2010年に事務所に現れた時は、来訪者が目を見張ったものです。「NPOのやる気を感じた」と言った気象庁の方がいたとか。山頂へ行ったことのない方にも、測候所の説明に役立っていました。

とはいえ、これまでは測候所の建物の説明には使えたものの、山頂でのNPOの活動全体をわかってもらうには不十分でした。「夏を迎えて活発に動き始めた富士山頂の風景を再現したい」・・・今回の修復は温めていた構想を実現するいいチャンスとなりました。

まず、着手したのは標高を5cm(約10メートル相当)嵩上げすること。ダンボールを10枚使い、それまではなかった馬の背の登山道やお鉢めぐりの登山道もジオラマに入るようになりました。これで山頂活動でロジスティックスの一端ー大量の物資の運搬補給を担うイグラさんの運転するブルドーザーが、新たなピースとして加わりました。富士山でも最も急こう配といわれる「馬の背」をよじ登るブルドーザの登場により、全体に「動き」がでてきたようです。

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馬の背の急坂を力強く登るブルドーザー。後続する登山者の様子からは、馬の背の「強風」が吹き荒れている様子がでているでしょうか。なお、防護柵は木綿糸をボンドで固めてつくりました。

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模型の縮尺は200分の1なので、フィギュアの身長は8mm~9mm。パステルカラーの絵の具で着色するときは、筆のほかに爪楊枝を使用しています。フィギュアは数えたら全部で65体ありました。

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ブルドーザの到着を迎える山頂班と研究者。右側は到着した荷物を測候所に運び上げているところ。ジオラマでは大きなアリが角砂糖を運んでいるよう。

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担ぎ上げた荷物は円形の1号庁舎の螺旋階段経由で2階へ。2階では学生さんたちが荷物の開梱にとりかかるところです。1号庁舎の玄関前には下山のために揃った学生一行とそれを見送る岩崎山頂班長。会報『芙蓉の新風』の表紙を飾ったシーンを参考にしました。

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3号庁舎のダクトにはインレットの取り付けがはじまっています。ダクトの中に入っている人物のモデルは和田理事(帝京科学大学)。さらに北側の水槽の下の二人は、自立電源による越冬観測実施のための作業をしている様子です。

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大沢崩れの急崖を望む西側に回ると、アース・ドクターこと、早稲田大学大河内副理事長のグループと帝京科学大学和田理事のグループが大気中に存在する微量な物質の観測研究をしています。

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正面にはNPO活動の中核を担うふたりの理事…日本一高所の岩の上に立ってNPOの活動全体を俯瞰している鴨川専務理事(静岡県立大学)と測定器を背負って移動しながらSO2-H2S モニタリングしている加藤理事(東京都立大学)…を配しました。

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1号庁舎の屋根はとりはずして中の2階部分が見えるようになっています。屋根は現在の平たいもの(上)と2001年までのレーダードームが乗ったもの(下)の2つがあります。

ジオラマはアクリルケースに入れてありますが、持ち運びできるよう手作りの専用キャリングケースもあり、宅配便で送ることもできます。生まれ変わったジオラマをいろいろなところで使っていただけたらうれしいですね。

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縮尺:1/200 サイズ:幅60✕奥行き40✕高さ25 (cm) 材料:紙(ペーパークラフト)

この記事はジオラマの製作者である事務局の元職員・中山良夫氏にお願いして書いて頂いたものを元にしています。

(広報委員会)


認定NPO法人富士山測候所を活用する会とは

2004年に無人化され、いずれ取り壊しの運命にあった旧富士山測候所。
富士山測候所を活用する会は、この施設を国から借り受け研究・教育の拠点にしようという構想で、2005年に大気化学や高所医学などの研究者が主体となって立ち上げたNPO法人です。

また
富士山頂という厳しい環境の中、その修理費・維持費や、運営費など
年間3000万円という莫大なコストが掛かるのです。

しかしながら、資金面に関しては、
公的補助もなく研究利用費だけで運営しております。

そこで、皆様からご支援、会員になっていただき未来へ
つなぐ研究の手助けをどうぞよろしくお願いいたします。

本NPOは、認定NPO法人(認定NPO法人は全NPOの2%しかない)です。
ご寄付に関しては、控除もありますので詳しくはウェブサイトなどでご確認ください。






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   授業の様子


鴨川グループの一員として富士山頂の大気電気観測に参加されている宮下敦成蹊大学教授は、今年1月初めのブログにも成蹊気象観測所長として、登場して頂きましたが、昨年11月に武蔵野市立第三小学校6年生を対象に出張授業をされたことが、成蹊学園サステナビリティー教育センター概要の2019年1月号に載っています。

活動内容は、小学校6年生の「土地の作りと変化」の導入として、火山としての富士山について話されたものです。この科目には地層、火山もしくは地震の内容が含まれています。授業では、まず富士山の位置や高さと吉祥寺からの見え方を調べました。富士山の形をスケッチした上で、富士山の噴火史と形の関係について簡単な実験を通じて観察する教材を体験するものでした。

授業後のアンケートもほぼ全員が「とても楽しかった」とのこと。本教材は、富士山測候所を活用する会の活動の一環で、実際に山頂を見学した上で開発したもので、富士山についての理解を深める活動に利用できることが実証できました。

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   富士山の砂粒をスケッチ(試料の砂はアマゾンから購入)

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    ライトスコープで富士山の砂を観察


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   富士山の砂で富士山の模型を作る

なお、宮下先生によると、
”中学校理科でスライムなどを使った火山の形の実験が教科書に載っているのですが,溶岩の粘性だけで火山の形を説明する方法は火山学者からは評判がよくありません.今回の教材はその代案で,富士山の形「を模擬的に説明するのに」は粉体の降り積もりと流水による変化の方がよいモデルではないかと考えています.検索した限りでは小中学生に,この形で模擬実験をした前例はないようです”

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   2016年 8月26日 富士宮5合目から山頂へ徒歩で向かう宮下先生と鴨川グループ

山頂での観測参加の経験が、このような形で教材作りも役立っていることがわかります。

(広報委員会)

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 山の日フォーラム会場の東京国際フォーラム

 「山の日」施行を一年後に控えて全国「山の日」フォーラムが開催されました。好天に恵まれた週末の2日間、会場は東京国際フォーラムです。地下1階の展示会場の一角、山岳5団体に割り当てられたブースにNPO富士山測候所を活用する会のパンフを置かせていただいてPRをしました。

参会者は山好きな方が多いようで、レーダードームや野中至・千代子夫妻、昨夏のドラマ「芙蓉の人」などのキーワードで話が通じますのであまり疲れもせずに...。「測候所に入りたかったが入れてもらえない」、「いろいろの物質をキャッチする話に興味を...」、成果報告会の予稿集を「後でゆっくり読みます」と持ち帰った方など。

    (以上は、日本山岳会のブースを担当された堀井昌子・副理事長からのレポートです)

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「山の日」は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日」(国民の祝日に関する法律)。 施行されるのは2016年から。8月としては初めての祝日で、お盆にあわせて連休を取りやすい日のため、山への旅行などによる経済効果を期待する声も大きいという。

プロジェクトをスタートした「日本山岳会」をはじめとした全国「山の日」協議会加盟諸団体などの意見を受け、超党派議員連盟が設立され決定された。最高顧問は、谷垣禎一氏(当NPO法人顧問)である。

日本は山の国です。古くから日本人は山に畏敬の念を抱き、森林の恵みに感謝し、自然とともに生きてきました。山の恩恵は渓谷の清流を生み、わが国を囲む海へと流れ、深く日常生活とかかわりながら、豊かな心をも育んできました。わが国の文化は、「山の文化」と「海の文化」の融合によってその根幹が形成されたといわれます。
わたしたち5つの山岳団体は、国民祝日としての 「山の日」 制定を提案します。「山の日」は、美しく豊かな自然を守り、次世代に引き継ぐことを国民のすべてが銘記する日です。祝日「海の日」と対をなして、皆が山との深いかかわりを考える日にしたいと思います。山々がからだの健康や心の健康に欠くことのできないフィールドであることを再確認し、登山の楽しみを広く伝えたいと念願します。

わたしたちの提案に賛同され、より多くの方々、団体より、ご理解とご支援、ご協力を賜りますようお願いいたします。
―「山の日」をつくろう


日本の山と言えば、やはり富士山。富士山関連の展示もブースのあちこちに。

国立環境研究所のブースでは「日本最高地点での温室効果ガス通年観測」のパネルで、富士山測候所で行われている二酸化炭素の観測を測候所内外の様子などの写真とともに紹介。

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(クリックすると拡大してご覧になれます)

国土地理院のブースでは富士山の3D模型が目を引いた。国土地理院のサイトからデータをダウンロードして安価に製作することが可能となったという。

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(クリックすると拡大してご覧になれます)

こちらは富士山周辺のライブカメラ数台からの映像を、白色の富士山模型に投影し、リアルタイムで現在の富士山を再現するシステム。災害時などいろいろな活用法が検討されているらしい。

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準天頂衛星システムサービス株式会社のブースでは「みちびき」初号機の模型やパネルを展示。登山時の位置情報利用に準天頂衛星「みちびき」を利用すると、GPS単独測位よりも測位精度が向上するという。

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フォーラムには、山岳5団体をはじめ、登山靴やテントなどのアウトドアメーカー、観光、食、出版など多分野から60ものブースが出展して賑わった。三浦雄一郎氏(当NPO法人副理事長)、田部井淳子氏、今井通子氏(いずれも当NPO法人理事)などによる登山に関わるシンポジウムやトークイベントもあり、当NPO法人と「山」のかかわりについて改めて認識させられた次第。

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「山の日」8月11日が祝日になるのは来年から。このときは富士山測候所では10年目の夏期観測を迎えている。これを機に、富士山測候所利用の裾野もさらに広がっていくことを期待したいものだ。

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子供たちのお目当てはダンボールの模型。富士山測候所との”触れ合い”をおもいっきり楽しんでもらった。

「富士山の日」制定趣旨

国民の財産であり、日本のシンボルである富士山は、その類まれなる美しい自然景観により、人の心を打ち、芸術や信仰を生み出してきました。こうし た偉大な る富士山を抱く静岡県において、すべての県民が富士山について学び、考え、想いを寄せ、富士山憲章の理念に基づき、後世に引き継ぐことを期する日として、 2月23日を「富士山の日」とする条例を制定しました。
(静岡県公式ホームページより)

「富士山の日」に合わせ、静岡県内の自治体ではそれぞれに独自のイベントを競って開催している。ここ富士市においては、2月18日(土)、19日(日)の両日「なんでも富士山2012」が開催され、富士山測候所を活用する会からも初めて出展した。

「なんでも富士山」は、富士山関連の水、菓子、茶、工芸など物産販売から学習資料の展示まで、富士山に関係するものは何でもあり、といったイベント。「学びのゾーン」には、国土交通省富士砂防事務所、山梨県環境科学研究所、気象実験クラブ、静岡県、それにNPO法人富士山測候所を活用する会の5団体がブースを構えた。

2日間の入場者は主催者発表で1万人弱。当会のブースにも沢山の地元の方々に立ち寄っていただいた。富士山測候所のレドームが撤去された後もその他の施設は残っていて様々な研究などに使われているということについては、ほとんどの方がご存じなかった。

今回の出展で富士山測候所を利用したNPOの活動をいくらかでも知ってもらい、そしてそのことで富士山の日の制定趣旨にある「すべての県民が富士山について学び、考え、想いを寄せる」ことへのささやかな一助になったらと思う。

(※)なお、2月23日(木)には、静岡県富士宮市において畠山史郎理事長が講演します。詳細はこちらから。

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新富士駅から徒歩5分、会場のふじさんめっせ。青空をバックに「白妙の富士の高嶺」が映える。地元の方のお話では、地上からも剣ヶ峰に測候所のレーダードームが光って見えたそうだ。

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用意した展示は三井物産環境基金によるポスターほか、「変わる富士山測候所」などの書籍、それに富士山測候所のジオラマ模型。

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となりのブースは静岡県。きれいどころの”ミスかぐや姫”も来て、文化遺産登録のための署名受け付けに華を添える。

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もう一方のとなりのブースには昨年の夏、富士山頂からライブ中継をやった気象実験クラブの佐藤元さんをリーダーとする気象予報士の面々。ペットボトルなどで工夫した手作りの実験教材を使って子供たちを楽しませた。

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間に挟まれた富士山測候所を活用する会は、説明員も一人だけとはちとさみしい。展示内容も専門的すぎたようだ。

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富士砂防事務所の富士山噴火時の溶岩流シミュレーションシステムは、地元の方の関心も特に高かった。

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