中村精男と和田雄治の年表
今回の企画展では東京理科大学の前身である東京物理学校の創設者21人を紹介するシリーズ第2弾として、中央気象台(現在の気象庁)で日本の気象事業の発展に貢献した中村精男と和田雄治に焦点を当てています。
このうち和田雄治については、野中至・千代子との接点があり当NPO法人富士山測候所を活用する会も資料展示に協力しています。1895年(明治28年)の野中至・千代子の富士山観測は、当時気象台予報課長であった和田雄治との関係を抜きにして語ることはできません。
展示会場を入ってすぐ右手壁面にある中村精男と和田雄治の各々の年表。和田雄治の年表の1894年、1895年に以下の記述があります。
1894(明治27)年8月 寺尾壽の紹介により野中至と面会。
1895(明治28)年9月 富士山頂観測所に5日間視察滞在し野中至と機器整備、12月 富士山へ冬山登山し野中至・千代子を救出する
1894年、和田雄治は東京大学理学部の同級生・寺尾壽から同郷(福岡県)の後輩・野中至を紹介され、富士山観測に情熱を持って取り組んでいることを知ると、その研究の気象学的バックグランドを指導します。
1895年、至が周到な計画の上に8月に山頂に小屋を建てると、当時最先端の気象測器を気象台から貸出し、9月に5日間山頂に滞在して使い方を指導し、その過程で至に気象学会員としての立場を与えます。また、10月に千代子が御殿場駅から手紙を出し、至を手伝う決心を告げ気象学会への入会を依頼すると、至一人では難しいという合理的考えを評価し、直ちにその手紙を気象集誌に転載して学会員の資格を与えるという異例ともいえる行動で支援します。
さらに、12月になって二人の健康が危急状態にあると知ると、直ちに救援隊を組織し自らその先頭に立って実行に移します。その行動力は、「明治という時代」の背景もあったのでしょうか、近代登山の装備も知識も乏しい130年前に、奇跡に近い冬山の山岳救助を成功させたのです。
スリルに溢れる救出劇の行程を綴った和田雄治の『富士登山日記』(気象集誌15巻1号18-27)は、東京理科大の学生スタッフが、当時の文章をやさしくかみ砕いた現代文で『野中到救出時の和田雄治の動向』と題して冊子にまとめています。詳しく知りたい方はぜひ東京理科大資料館の企画展へ足を運んで、御覧ください。この冊子を読まれるだけでも十分価値があると思います。
学生スタッフによる『野中到救出時の和田雄治の動向』
企画展『富士山観測』では、このように野中至・千代子の82日間に及ぶ富士山頂における冬季観測に果たした和田雄治の偉業と日本気象学の発展における重要な役割を再認識することができます。和田雄治の日記は12月22日山頂野中小屋に到着したところで終っていますが、救出劇の後半はスリル満点です。当時の新聞記事から少しご紹介しましょう。
いまから40年前、大森久雄編集者が手がかりが何もないところから、国会図書館のマイクロフィルムを「野中至」という文字だけを頼りにしらみ潰しに調べ新聞記事を収集しました。これらの新聞記事は、その後の情報も加え「芙蓉日記の会」の貴重な財産として資料館HPにアーカイブされています。
報知新聞(1895年12月26日)「野中夫妻の下山(続)」
瀕死の状態にも関わらず、滞頂して観測の継続を主張する野中至に対して、「自分は二人を病気の軽重にかかわらず下山させる責任を気象台から官命を受けてきた。強制的にも下山させる」と強硬に説得して、更に初志貫徹を主張する千代子も説得して下山させた。
実際は熊吉が至を、鶴吉が千代子を担いで下山を開始した。熊吉は64kgの至を背負ったため、至は胸が圧迫されて苦しんだ。無理矢理に午後7時頃、8合目に達したときは、人事不省になっていたが和田以下手を尽くして介抱してやっと蘇生した。鬼熊といわれた熊吉さえ体力の限界であったが、和田技師は終始野中を励まし続けた。
22日は8合の室で明かし、23日には、衆議を凝らして背負子を背中合わせにするなど、至の苦痛を和らげる工夫をして、熊吉が至を背負って3合目まで無事下山に成功。3合目では医師瓜生駒太郎が出迎え診断した。3合目からは勝又恵造らが籠を2挺用意し、太郎坊では村民が待ち受け、瀧河原の佐藤与平次方に夜9時に到着した。和田技師は野中氏が師事した人であるが、この度官命を帯びて下山させるために、幾多の危険と困難を排して任命を全うした。二人が帰着するまでの間は籠のそばに付き添い、丁寧にいたわりつつ、滝河原まで徒歩で従った。見る者、その友情の篤いことに感動しない人はいなかった。(以上、部分的な意訳です。詳しくは記事をご参照ください)
和田雄治の遺品の盃
和田雄治の業績はこれだけではありません。日本の気象学の黎明期における業績などは、続編でご紹介したいと思います。企画展は開催期間中も、新しい情報や展示物も追加されています。例えば、上の写真で示した盃は和田雄治のご子孫から届けられた遺品で、酒豪だったという和田雄治の面影をしのばせています。
どうぞご注目ください。
(芙蓉日記の会)
***************************
富士山測候所を活用する会では、ウェブサイトにて寄付を募っています。主旨や活動にご賛同いただけましたら、ぜひご支援をお願いします。
また、会員を募集しています。
会員特典として、会報誌『芙蓉の新風』(年1回発行)の送付、富士山頂郵便局スタンプ付きの暑中見舞いをお送りするなどの他、ウェブサイトの会員限定ページでは、山頂からのライブカメラ画像のアーカイブをはじめとするコンテンツをご覧いただくことができます。
▶
※ 銀行振込、クレジットカード、PayPal、その他(SoftBank、Tポイント)がご使用できます
▶
コメント