前回に続く。

 『三島のジャンボさん:ミスターグラウンドワーク・渡辺豊博』(春風社、2010」の表紙より)

2005年5月と6月の講演会の成功で自信をつけた渡辺豊博事務局長(三島のジャンボさん)は、次の行動を始めました。
まず手始めに、ロビー活動です。浅野名誉教授と土器屋は、静岡総研の櫻井好之氏が作成した素晴らしい書類を持ってジャンボさんと陳情に同行しました。

議員会館に集合して、国会の合間を見て、富士山測候所がいかに貴重な場所で、観測などの研究利用に欠かせない場所であるかを説明して歩くのです。

議員会館と国会議事堂をつなぐ地下通路があることや、思いがけない場所にある議員食堂や待合室なども経験しました。
国会議員独特の名前が大きく目立つ名刺や秘書の方々の名刺が大量にたまりました。
こちらもひたすら名刺を配り続けました。

議員会館のほか環境省、文部科学省、国土交通省へも行きました。

それらの過程でわかったのは省庁の壁は厚く、国や公的機関が何らかの形で富士山測候所を研究施設として再建することは困難であることが分かってきました。
しかし、どこへ行っても「大変良い運動だからがんばってください」とは言われるのですが、
「ではうちの組織で引き受けましょう」とは言われないのです。

取り潰しを免れたければ、自分たちで「借用して運営するしかない」ということになりました。
そのためには責任のある団体「NPO」になることが必要です。

しかし、当時は、「NPO」は研究者たちにとって、よくわからない組織でした。
ほとんどの研究者が「研究会」とどう違うの?・・・という認識でした。
NPO法(特定非営利活動促進法)が成立したのが平成10年(1998年)ですが、2005年はまだ市民権を得ているとは言えない時代でした。

ここからは、ジャンボさんの独壇場でした。彼は静岡県で生活・文化部NPO推進室長の経験があり、
「趣味は”事務局長"と言って憚らない」人です。(『富士山学への招待:NPOが富士山と地球を救う』(渡辺豊博、春風社、2010)

研究者がウロウロしている間に、上記推進室が作成した「NPO読本、NPOって何?」をみんなに配り、組織づくりが始まりました。



その過程については、おいおいご紹介してゆきますが、その第一歩が2005年7月8日「第11回富士山高所研究会」会合での資料と思われます。また、2005年7月28日の読売新聞には、「富士山測候所活用へ、受け皿は「NPO」設立:高所科学研究会が方針」という記事が載っています。


 2005年7月28日読売新聞の記事

(広報委員会)
***************************
富士山測候所を活用する会では、ウェブサイトにて寄付を募っています。主旨や活動にご賛同いただけましたら、ぜひご支援をお願いします。
Paypayで寄付ができるようになりました。
paypay

ご寄附はこちらからお願いします
ご入会はこちらからお願いします