2010年度富士山測候所 研究報告書(速報 その6)
氏 名:山本正嘉 Masayoshi Yamamoto
所 属:鹿屋体育大学 National Institute of Fitness and Sports in Kanoya
共同研究者氏名・所属:
笹子悠歩 鹿屋体育大学
Yuuho Sasago National Institute of Fitness and Sports in Kanoya
研究テーマ: 高齢者による富士登山時の生理的負担度の測定評価
Measurement of physiological stress during climbing Mt. Fuji of high-aged people
研究目的:
富士登山の人気は最近特に高まっている.夏になると,老若男女が約40万人も登山をするが,その中には登山が初めてという初心者も多くいる.しかし富士山は,技術的には容易でも体力的な負担度は非常に大きく,そのうえ高度(低酸素)の影響も強く受ける.実際に毎年,これらのストレスが原因と思われる事故も多く起こっている.
このような事故を防止するためには,まず,富士登山中に身体がどのようなストレスを受けているのかを,客観的なデータで表すことが必要である.そして,それに基づいた具体的な安全対策を示し,広く啓蒙していかなければならない.しかしこれまで,このようなことはほとんど行われてこなかった.
我々は,富士登山中の様々な場面(行動中,生活中,睡眠中)を対象として,各種の生理応答を測定してきた.過去3年間の研究により,登山経験の少ない若年者および登山経験の豊富な中高年者のデータは得ることができた.そこで今年度は,登山経験の少ない高齢者を対象として,同様の測定を行うこととした.
方法:
対象者は65~73歳の男女9名で,平均年齢は68.4歳であった.彼らは,富士宮口の五合目(2400m)から登山を開始し,1日目は元祖七合目(3010m)の山小屋に宿泊,2日目には山頂に到達して測候所に宿泊し,3日目には同じコースを下山した.過去3年間の研究では,被験者は五合目から1 日で山頂に到達し,山頂で2泊した後に下山をしていたが,今年度は年齢および体力レベルを考慮し,2日間をかけて登頂した点が異なっていた.
測定項目は,動脈血酸素飽和度,心拍数,歩行時の主観的運動強度(つらさ),歩行時に身体が地面から受ける衝撃強度,高山病の自覚症状(AMSスコア),安静時の血圧などであった.
結果と考察:
A.今年度の結果の概要
(1)動脈血酸素飽和度:この指標は,体内の酸素の量を表すものである.五合目付近での安静時には90%前後,登高時には80%前後の値であった.しかし高度が上がるにつれて低下し,山頂付近まで行くと安静時では75%前後,登高時では60%台となった(左図).また睡眠時の値は,元祖七合目では70%台,山頂では60%前後と,登高時なみの低値を示した.低地の医療現場では,動脈血酸素飽和度が90%を下まわると酸素吸入を行う.このような基準から見れば,富士登山中の値は異常とも言えるほど低く,身体は極度の低酸素ストレスを受けていることがわかる.
(2)心拍数:心臓の活動状況を表す指標で,心臓にかかる負担度を表しているともいえる.この値は,登高中は1分間あたり140拍程度で推移しており,被験者の年齢から推定される最高心拍数(本被験者の場合は 220-68.4=151.6拍)の92%に相当した(右図).持久的な運動時に,心臓に過度の負担をかけない心拍数のレベルとは,最高心拍数の75%以下であるとされている.したがって富士登山の場合,心臓にも非常に大きな負荷がかかっており,その状態で何時間もの行動をしていることになる.
(3)主観的運動強度:運動中に感じる「つらさ」を数値化した指標で,11が楽,13がややきつい,15がきつい,17がかなりきつい,と表される.登高中の値を見ると,1日目が13~15,2日目は14~16となり,高度が上がると「きつい」と感じることが多かった.持久的な運動時に,身体に過度の負担をかけないレベルとは,13(ややきつい)以下であるとされる.したがって主観的運動強度から見ても,富士山の登高時には大きな負荷がかかっていることが窺える.
(4)衝撃強度:加速時計を腰部に装着し,歩行中に身体が地面から受ける物理的な衝撃を表した指標である.登高中は1.5前後,下山中は1.9前後となった.これらの数値はどちらも,低地でゆっくり歩いた場合と同程度であり,物理的な衝撃強度は低かった.
(5)AMSスコア:急性高山病の自覚症状を表す指標である.1日目,2日目ともに,行動時間が長くなるとともに「疲労/脱力感」の値が増加したが,その他の指標については低値で推移していた.また2日目に山頂で宿泊した翌朝(3日目朝)には,「頭痛」のスコアが高値を示した.これは山頂での睡眠時に動脈血酸素飽和度が大きく低下し,一部の者で急性高山病を発症したためと考えられる.
(6)血圧:低地での最高・最低血圧は,それぞれ121mmHgおよび75mmHgであった.しかし七合目では150mmHgおよび90mmHg,山頂では160mmHgおよび90mmHg程度と,大幅な上昇が見られた.
B.昨年度の結果との比較
今年度は,登山経験の少ない高齢者9名を対象として測定を行った.その結果を,昨年度測定したベテランの中高年登山者7名(平均年齢63歳,登山経験28年)の値と比べてみると,以下のような特徴が見られた.
(1)動脈血酸素飽和度:登高中の値について,今年度と昨年度とで同じ高度において測定された値を比べてみると,今年度の方が休憩時,行動時ともに低値を示していた.また,山頂(測候所)での睡眠中の値も,今年度の方が低かった.今年度は2日がかりで山頂に到達しており,登高速度もかなりゆっくりであったため,高所に順応するという面からは有利であったと考えられる.それにも関わらずこのような結果であった理由として,今年度の被験者の方が年齢が高かったことや体力が低かったことが関係していると考えられる.
(2)心拍数:登高時の値について推定最高心拍数に対する相対値に直して比べてみると,今年度の方がゆっくり登っているにもかかわらず,昨年度の値よりも高値を示した.
(3)主観的運動強度:登高時の値について比べてみると,今年度の方が昨年度よりもゆっくり登っているにもかかわらず高値を示した.
(4)衝撃強度:登高時の値は,昨年とほぼ同様であった.また下山時の値については,昨年度よりも低い値であった.これは,今年度の方が歩行速度がゆっくりであったためと考えられる.
(5)AMSスコア:「頭痛」については,今年度の被験者の方が昨年度の被験者よりも低かった.これは山頂に到達するまでに2日間をかけているために,高所順応がより進んだためと考えられる.一方,「疲労/脱力感」については昨年度よりも高値を示した.これは登山経験が少なく,体力も低かったことが関係していると考えられる.
まとめ
富士登山中には,行動時はもとより安静時,睡眠時といった全ての場面で,身体の様々な部分に非常に大きなストレスがかかることがデータで確認できた.特に,登高中と睡眠中の動脈血酸素飽和度は著しく低く,これらの局面で身体が受ける低酸素ストレスは非常に大きいことが窺える.また登高中の心拍数も推定最高心拍数の90%以上と心臓には非常に高い負担がかかった状態で,長時間(1日あたり3~5時間)の運動を行っていることも注意すべき点といえる.
このような傾向は,これまでに測定対象とした登山経験の乏しい若年者や,登山経験の豊富な中高年者においても同様に見られたことである.ただし,今回の被験者の場合,年齢が高いことや体力が低下していることも関係して,相対的に見るとより大きなストレスを受けている可能性が考えられた.
冒頭に述べたように,富士山では毎夏,数十万人もの老若男女が登山をするが,その中には高齢者,体力のない者,登山の初心者も多い.このような人たちが本研究で示したような身体への強いストレスの存在を知らずに登山することは,非常に危険なことである.富士山での登山事故を防止するためには,本研究で得られたデータに基づいて具体的な安全対策を作成し,啓蒙していく必要がある.
英文:
Climbing Mt. Fuji is very popular for Japanese and thousands of people including, high aged people, children, and beginners aim to the top in summer. But physiological stress is considered to be very large because its height is near 4000m. Actually many accidents occurs every year. So the purpose of this study was to estimate various physiological and mechanical stresses in climbing Mt. Fuji such as arterial oxygen saturation (SpO2), heart rate (HR), systolic and diastolic blood pressure (SBP, DBP), perceived exertion rate (RPE), acute mountain sickness score (AMS), ground reaction force during walking etc. The subjects were nine high aged men and women (>65 yrs). On the first day, they went up from 2400m to 3010m and stay there, next day they reached the summit (3776m) and stayed there, and the third day they went down through the same way. In the results, SpO2 at rest was about 90% at 2400m, but decreased to 75% at the top. The SpO2 during ascending was as low as 60% near the top. The SpO2 during sleep at the top was also remarkably decreased to 60%. The HR during ascending was estimated above 90%HRmax. The SBP and DBP at sea level were 121mmHg and 75mmHg, but increased to 160mmHg and 90mmHg at the top, respectively. These results suggest that physiological stress in Mt. Fuji is very serious for high aged people especially during ascending as well as during sleep.
研究成果の発表:
学会発表・・・2011年度の日本登山医学会で発表予定
論文発表・・・2011年度の『登山医学』に発表予定
(参考)
プロジェクト計画:高齢者による富士登山時の生理的負担度の測定評価
関連ブログ:2年越しの富士登山
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