東京事務所(4名)と、スイス、福井、つくば、千葉と結んだハイブリッド会議の様子
4月24日は久し振りの開催となった「芙蓉日記の会」の打ち合わせでした。事務所に4名、画面には、スイス1名、金沢1名、つくば1名、千葉県1名と国際的なミーティング(といっても、Martin Hoodさんは日本語ができるので、会話はもっぱら日本語で)でしたが、一同がその場で居合わせているのと同じような感覚で、何ら違和感なく使用することができました。
NPOが東京都のテレワーク助成で購入した新しいハイブリッド装置の初めての利用ということでした。この日のミーティングに合わせてセッティングしてくださった事務局や静岡県立大学の関係者の皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。
「芙蓉日記の会」の打ち合わせは第9回(2021年11月20日)以来1年半ぶりの開催となりましたが、会の中心となる大森氏が不参加となったため資料に関する討議は次回へ廻し、Martin Hood 氏の 『Alpinist』 の原稿関連の話題、山本氏の日本気象学会、日本科学史学会発表の件および富士山測候所ジオラマなどに集中しました。
『Alpinist』は「登山文学と登山」に特化したアメリカの山岳雑誌。登山家でもあるMartin Hood氏がその編集者から依頼を受け、野中至と千代子についての記事 "Eighty-two days on Mt Fuji" を執筆しています。
原稿は目下 Fact checking の段階で、熱心な編集者から野中至の最初の登山の日程の確認など細かい質問があり、それに答えているところだとのことです。季刊誌なので掲載は6月号の予定との報告。H. 晴美氏からも「日本山岳会の図書館にも届いているので楽しみにしている」と大森氏より連絡があったとの紹介がありました。
関連して、Martin Hood 氏提供の Mendenhall students について、集合写真に写っている中のどれが和田雄治の若い頃であるかについて議論になりました。あくまで推測ですが、和田雄治の曾孫に当たる方からの情報で、前列向かって右端の方ではないかという結論?になりました。
なお、1895年の野中至・千代子の観測における和田雄治の役割、至の山頂観測データ(HPに公開中)の取り扱いなどについて、議論が行われました。
山本哲氏は 日本気象学会(2022年春季大会)、日本科学史学会(2022年5月28-29日)で下記の講演を行うことが報告されました。
山本哲「大日本気象学会会員 野中至(到)・千代子」
山本哲「教えられた初の富士山頂冬季気象観測」
また、関連した資料『アラレ』(俳句雑誌)や「女大学」(萬朝報)掲載の写真などについても議論を行いました。
ジオラマに関しては、1895年当時の野中至の小屋が、現在の山頂の施設のどの辺りにあったかについて議論がありました。小屋は現在の3号庁舎と測風塔の間付近にあったといわれており、ジオラマの上に模型の小屋を置くと非常に小さく、当時の観測が厳しい自然の中でいかに大変だったかを改めて痛感しました。
制作者の中山氏によると、ジオラマは気象庁から借用した図面をもとに200分の1の縮尺でほぼ忠実に再現したもので、「野中小屋」の製作にあたっては、『富士案内・野中至』(大森久雄編、平凡社ライブラリー、2006)p111にあった小屋の仕様の記述を参考にしたとのこと。今後、このジオラマが芙蓉日記の会の議論の中で、当時の山頂の様子を知るうえで活用されることと思います。
(芙蓉日記の会&広報委員会)
2004年に無人化され、いずれ取り壊しの運命にあった旧富士山測候所。
富士山測候所を活用する会は、この施設を国から借り受け研究・教育の拠点にしようという構想で、2005年に大気化学や高所医学などの研究者が主体となって立ち上げたNPO法人です。
また
富士山頂という厳しい環境の中、その修理費・維持費や、運営費など
年間3000万円という莫大なコストが掛かるのです。
しかしながら、資金面に関しては、
公的補助もなく研究利用費だけで運営しております。
そこで、皆様からご支援、会員になっていただき未来へ
つなぐ研究の手助けをどうぞよろしくお願いいたします。
本NPOは、認定NPO法人(認定NPO法人は全NPOの2%しかない)です。
ご寄付に関しては、控除もありますので などでご確認ください。
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