2009年5月に放送されたこの番組は、今回(2022年12月5日、BS3のプレミアムカフェ「日本冬物語」の第1回目として再放送されました。いつ見ても、新しい発見のある冬富士の魅力の詰まった番組です。
冬でも山小屋を開けている大正3年に開業した、富士吉田口登山道「佐藤小屋」の4代目主人・佐藤保さん、冬山だけでも500回以上登山し、「尻アイゼン」の特許も持つ、数学教師の大貫金吾さん、富士山に魅せられて山麓に家を建てて写真を撮り続ける大山行男さん他の登場人物に加えて、
最も長時間出演したのが、本NPOの岩崎洋山頂班長です。
このブログは岩崎班長の関係する話に絞ってご紹介しましょう。
まず、測候所前での古い写真で、気象庁時代の勤務登山歴などがと紹介されました。
早速、NHKスタッフと冬富士登山の作戦計画です。
夏山のメインルートである吉田口ルートは冬の風向から考えると危険が多いため、
登山に時間がかかっても比較的安全な御殿場ルートが決定されました。
出発は2009年2月15日、7人のパーティーはいずれもヒマラヤ経験者など登山のベテランです、嘘のように雪の少ない2000m以下の山麓から、1泊のための山小屋(約3000m)まで登ります。途中、岩崎さんも初めてのスラッシュ雪崩のスタート地点を見ました。一度溶けた雪の上に積持って凍り付いた雪の雪崩の恐ろしさは半端ではありません。
流石に3000mの小屋は雪に埋まっていました。穏やかなお天気でしたが、テントを張るにあたって、岩崎さんは雪のブロックを積むよう指示しました。
案の定、夜中に突然変わった天候で、テントは強風に教われます。雪の壁がなかったらと思うとぞっとします(この年、テントが飛ばされた遭難事件がありました)。
テントの中では、ヒマラヤ経験者のベテラン登山家のグループでも眠れなかったようです。
翌朝は晴れましたが、強風です。あと2時間で山頂へ行けますが、昨日スラッシュ雪崩の後を見ている岩崎さんの判断で、まだ下山が可能なうちに今回の登頂を諦めて全員下山しました。
2回目の挑戦は2週間後に行われました。今回は御殿場は雨、しかし岩崎さんは移動性高気圧が近づいているという予報を信じて出発しました。
前回と同じ山小屋の横にテントを張り、前回埋めておいた食料を掘り出し、2日目に期待をかけましたが、二日目はあいにくの強風で一日テントから動けませんでした。
移動性高気圧は来るには来たのですが、少しずれたようです。
3日目になってやっと風が収まり、いよいよ出発です。
冬の富士山でなければ見慣れないお鉢の雪の中から上を仰いだ真っ青な空を楽しんで、
急いで、馬の背を登り、最高地点へ到着しました。
「日本最高地点」の文字が氷に写っているのを見ながら、最高のパノラマを堪能しました。
いまから、13年前、2009年の画像ですが、今でも古さを感じさせません。冬の魔境でもある富士山は周到な準備をした実力者にしか山頂を開放しない・・・というナレーションで締めくくられました。
エンドロールには、資料提供 富士山測候所活用する会の文字もあります。
私たちのNPO活動にとって、2009年はまだ始まったばかりでした。当時、その山頂を管理する岩崎山頂班長の山に対する知識と的確な判断に対して感動しながら見た覚えがあります。あれから、13年、無事故で山頂を利用して成果を出し続けていることにあらためて、感謝したいと思います。
(広報委員会)
2004年に無人化され、いずれ取り壊しの運命にあった旧富士山測候所。
富士山測候所を活用する会は、この施設を国から借り受け研究・教育の拠点にしようという構想で、2005年に大気化学や高所医学などの研究者が主体となって立ち上げたNPO法人です。
また
富士山頂という厳しい環境の中、その修理費・維持費や、運営費など
年間3000万円という莫大なコストが掛かるのです。
しかしながら、資金面に関しては、
公的補助もなく研究利用費だけで運営しております。
そこで、皆様からご支援、会員になっていただき未来へ
つなぐ研究の手助けをどうぞよろしくお願いいたします。
本NPOは、認定NPO法人(認定NPO法人は全NPOの2%しかない)です。
ご寄付に関しては、控除もありますので などでご確認ください。
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