太郎坊のそよ風

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会 オフィシャルブログ

カテゴリ: 歴史

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 ハイブリッドで開催された第15回芙蓉日記の会 (2024年4月29日)

「ダンボールに一杯の新聞コピーがあるけど、どこかに引き取ってもらえないか?」
『芙蓉日記の会』の名付けの親で、会を始める切っかけとなった大森久雄氏から尋ねられたのは、2019年のことです。

ダンボールの中身は、大森氏が国会図書館でマイクロフィルムから「野中至」の文字だけを頼りに片っ端から探しだすといった大変な苦労の末に入手されたもの。欄外には、赤文字で当時のメモもあります。

その成果は『新選覆刻日本の山岳名著 解題』(日本山岳会企画編集、1978)の中の大森久雄「野中至『富士案内』(明治34年8月春陽堂刊)や『野中至 富士案内 野中千代子 芙蓉日記』(大森久雄編、平凡社ライブラリー、2006)として刊行されていますが、利用されなかった資料など、当時の実情を知るための膨大な情報が含まれています。

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(左)『新選覆刻日本の山岳名著 解題』(日本山岳会企画編集,1978)(右)大森久雄編『富士案内・芙蓉日記』(平凡社ライブラリー, 2006) 

NPO事務所が手狭になった千代田区半蔵門のアパートから、新宿区大久保の広めの事務所に引っ越したのは、その2年後の2021年。引っ越しを機に同好会「芙蓉日記の会」も待望の専用のロッカーを入手、富士山環境研究センターの作業スペースの借用も可能になり、大森氏の「ダンボールの資料」の受け入れ準備ができました。

大森氏の「段ボールの中身」は芙蓉日記の会に寄贈され、さらに溝口克己氏等からも別途収集された当時の新聞コピーを寄せられたのをきっかけに、本会では明治時代の新聞資料のウェブサイトへ掲載作業に着手。紙面をスキャナーで読み込み、デジタル化された画像はすでに資料館アーカイブに登録が完了しています。

ウェブサイト掲載にあたっては、明治時代の文章はこのままでは読み難いため、新聞紙面とあわせ、その紙面のテキスト起こしをするとともに、常用漢字外の字、人名・地名・専門用語、難読と思われる字にはルビをつけ、当時の新聞記事にはついていない句読点を補いました。

この結果、単語の「ページ内検索」が可能となり、調べるときなどは各段に便利になりました。例えば「和田雄治」でページ内検索をすると該当箇所にマーカー付きで沢山ヒットします。


さらにわかりやすくするため、旧字旧仮名を新字新仮名に書き換え併記することにしています。この変換
には『富士案内 芙蓉日記』(大森久雄編、2006,平凡社ライブラリー)の「凡例」にその方法について記載があったのを参考にし、これに準じて行なうことにしました。

ただし、『芙蓉日記』など既に一次資料として印刷されたものについては上記の本を参照していただくことにして、ここでの作業の対象には含みません。 


❶文字表記を新字にする(除く人名、地名)

・気象臺→気象台


❷文字表記を新仮名にする

・被ふ→被(おお)う

・準備に怠りなしと云ふ→準備に怠りなしという


❸漢字表記のうち特定の語を仮名にする

・為に→ために

・其の他→その他


句読点を補う(当時の新聞記事には句読点がついていない)

・五六寸→五、六寸


❺総振り仮名は適宜整理

・ルビをつける漢字は、ブロックごとの初出の漢字とする。

・パラルビは、常用漢字外の字、人名・地名・専門用語、難読と思われる字につける


1895(明治28)年9月1日の東京朝日新聞の記事を下に示します。

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  1895年(明治28年)9月1日 「富士山の測候所」ど題した 東京朝日新聞の記事

芙蓉日記の会では、上の画像で示した新聞記事の赤で囲った部分の解読とそのチェックを行い、「旧字旧仮名(原文そのまま)」(白地に青色のルビ)と並べて「新字新仮名」(クリーム色)で読める形で示す作業を、昨年末から始めています。


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「旧字旧仮名(原文そのまま)」(白地に青色のルビ) と並べて「新字新仮名」(クリーム色)

作業は地味なものですが、読んでゆく過程で「こんなことがあったのか !!」というような新しい
発見に満ちています。段ボールいっぱいのコピーは興味深い情報の宝庫です。興味のある方は参加されませんか。


「野中至(到)・千代子」に関する正確な資料を集めてウェブサイトで公開を目指す「芙蓉日記の会」の活動に参加を希望される方の、ご連絡は
こちらからお願いします。


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(注)著作権の取り扱いについて:
100年以上経過しているので著作権については既に問題がないと思われましたが、新聞社のとりまとめをおこなっている(一社)日本新聞協会にも問い合わせしたところ、すでに著作権については消滅しているので、ウェブサイトへの掲載は問題がないとのことでした。しかし、掲載にあたっては一応各新聞社にそのことを伝え了解をとるようにしました。
その結果は、電話だけでOKの新聞社(読売新聞など)、メールによる依頼とメールによる回答(朝日新聞など)、文書による伺いで文書による回答(山梨日日新聞など)と、各社各様の対応でした。

(芙蓉日記の会)


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富士山測候所を活用する会では、ウェブサイトにて寄付を募っています。主旨や活動にご賛同いただけましたら、ぜひご支援をお願いします。

また、会員を募集しています。
会員特典として、会報誌『芙蓉の新風』(年1回発行)の送付、富士山頂郵便局スタンプ付きの暑中見舞いをお送りするなどの他、ウェブサイトの会員限定ページでは、山頂からのライブカメラ画像のアーカイブをはじめとするコンテンツをご覧いただくことができます。

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渋谷の忠犬ハチ公の像は「待ち合わせ場所」でおなじみですが、
飼い主だった東大農学部教授・上野英三郎(ひでざぶろう)先生と仲良く遊んでいる銅像もあることをご存知でしょうか?

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 ハチ公没後80年とされる2015年3月8日に東大農学部正門脇左側に建立

渋谷ではなく、当時渋谷近くにあった駒場農学校の移転先・文京区弥生町の東大農学部キャンパスに、2015年に建てられて今年は10年目を迎えています。
「ちょうど学園祭だし、いろいろなグッズも販売中ですよ」
と古い知り合いに誘われて「ご当地グッズ大好き人間」の芙蓉日記の会の3人で5月18日に遊びに行ってきました。
確かにありました!
東大農学部の正門を入ってすぐ左手、外装修理中のビルの前にさり気なく置かれていています。

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 東大農学部資料館、農学部正門から入って右側

農学部正門の右側には資料館もあり、そこでグッズ販売が行われていました。

グッズ
 Tシャツ、絵葉書、ぬいぐるみ、ボールペンなど多数、毎月8日の「ハチの日」
(10時ー16時)はボランティアによる説明やグッズの販売が行われています。

資料館にはハチの内蔵の標本もあり、死因はフィラリアだったとか、獣医学科の研究者たちによる調査も展示されています。解剖結果によると、胃から串がたくさん出てきたようで、ハチは駅前の焼き鳥が目的だったという説もありますが、2009年には米国映画「Hachi 約束の犬」(リチャード・ギア主演)として評判にもなりました。2015年に建てられたこの像も、上野先生とハチ公にスポットが当たるきっかけになっているようです。

上野英三郎教授(1872-1925)は日本の農業工学の創始者として知られていますが、当時、深刻な社会問題であった足尾鉱毒事件で、田中正造議員の依頼で渡良瀬水域の銅イオンの分析を行った古在由直(こざいよしなお)東大農学部教授(後の総長)とともに、渡良瀬沿岸土壌の調査も行っておられたとのことです()。
もしかしたら、そのような調査旅行へ出かけたと思って、帰ってこられなかった上野先生をハチ公は渋谷の駅で10年待ち続けたのかもしれないですね。

ハチこうやき
 学園祭では「ハチ公焼き」もありました

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 ハチ公焼き、餡といぶりがっこの2種類です

富士山測候所の創設者・野中至(1867-1955)・千代子(1871-1925)夫妻と、ほぼ同時代の上野英三郎先生との直接の接点は見つかりませんが、5月18日に見学した「上野先生とハチ公」グループの活動は多方面からのアクセスされる楽しい活動でした。
本NPOもいろいろ参考になることがありそうです。

注:熊澤喜久雄「足尾鉱山鉱毒事件を巡る農学者群像(続)ー谷中村の貯水池火問題と鉱毒被害地の改良ー、肥料科学、37,1-74(2015)

(広報委員会)


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 東京事務所入り口付近で2023年10月31日)

10月31日お昼前に、芙蓉日記の会のMartin Hoodさんが、スイスのチョコレートを持って東京事務所を訪問されました。福井に一週間の短期滞在のなか、貴重な一日を使って東京事務所までわざわざ日帰りで往復されたのです。

芙蓉日記の会からは、大森久雄様と佐藤政博監事、土器屋理事が参加して、
「ミニ芙蓉日記の会」の雑談をしました。
まず、大河内理事の英紙The Gardianに載った記事の話から始まりましたが、
この新聞は日本でいえば朝日新聞のようなもので、
近年は環境問題を熱心に取り上げているとのことです。
スイス在住の英国人・Matin Hoodさんにとってもガーディアンに載るのは
「大したこと」で前回のブログのお祝いメールになりました。
「第何面のどのくらいの大きさの記事ですか?」という古い世代の質問には、
「紙の新聞ではなくネットで見ている」とのこと。
紙の新聞が減っているのは、やはり世界的風潮であることを再確認しました。

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 富士山環境研究センタースペースで(2023年10月31日)

出版されたばかりの『ようこそ!富士山測候所へ』(長谷川敦著:旬報社、2023)を見ながら、
大河内理事の写真や、佐藤監事の昔話を聞いたり、
近いうちに出版予定のフッド晴美氏の英訳『芙蓉日記・富士案内』の挿絵などについて話が弾みました。
芙蓉日記の会の基礎資料・平凡社ライブラリー版『野中至・富士案内、野中千代子・芙蓉日記』(大森久雄編、2006)の編者である大森氏の説明によると、野中至の『富士案内』の挿絵は、至の友人で画家の中村不折氏の絵から選んだとのこと。
明治の書家・画家として著名な中村不折氏の写真をウェブサイトで確認したりして楽しいひと時でした。

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 中村不折画伯(中央)左:野中至、右:野中恭子(1936年11月3日撮影:『野中至(到)・千代子資料館』より)

トップの写真を含めて、最後に事務所の皆さんも入って記念写真をとりました。

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 東京事務所の事務コーナーで 「2023年10月31日)

夏期観測の反省会も終わり、来年に向けての始動期の秋の一日でした。
(広報委員会)


認定NPO法人富士山測候所を活用する会とは


2004年に無人化され、いずれ取り壊しの運命にあった旧富士山測候所。
富士山測候所を活用する会は、この施設を国から借り受け研究・教育の拠点にしようという構想で、2005年に大気化学や高所医学などの研究者が主体となって立ち上げたNPO法人です。

また
富士山頂という厳しい環境の中、その修理費・維持費や、運営費など
年間3000万円という莫大なコストが掛かるのです。

しかしながら、資金面に関しては、
公的補助もなく研究利用費だけで運営しております。

そこで、皆様からご支援、会員になっていただき未来へ
つなぐ研究の手助けをどうぞよろしくお願いいたします。

本NPOは、認定NPO法人(認定NPO法人は全NPOの2%しかない)です。
ご寄付に関しては、控除もありますので詳しくはウェブサイトなどでご確認ください。

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洋装の千代子   1914年(大正3年)頃 (千代子 43才)  

本日は、大正12年(1923年)2月22日に亡くなった千代子の没後100年を迎えています。

富士山測候所の基礎を作った野中至(到)・千代子夫妻について私たち芙蓉日記の会は、夫妻の偉業を歴史的な事実を踏まえて正しく知らせるために、その関連資料を展示するWeb上のデジタル資料館『野中至(到)・千代子資料館』を公開しています。



野中夫妻については小説や映画などでも有名ですが、多くのフィクションを含んでいることもあります。例えば…
  • 長女園子は、小説『芙蓉の人』で夫妻の山頂滞在中(1895年)に亡くなったとされていますが、下記の大森久雄編『富士案内・芙蓉日記』の解説に書かれているように歿年は1901 年、7歳だったこと。
  • 同じ小説で、指導者の和田雄治によって拒否されたことになっている気象学会入会が、実は和田の特別の計らいで、登山と同時に会員になっていたこと。
などを、本会がこれまでの調査を踏まえて、改めて公表しています。 

千代子について最も確かな資料は本人が書いた『芙蓉日記』が嚆矢ですが、現在は下記(大森久雄編『富士案内・芙蓉日記』平凡社ライブラリー、2006)で読んでいただけます。芙蓉日記は明治時代の雅文ですが、大森久雄氏による丁寧な注釈が付けられています。

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『富士案内・芙蓉日記』(平凡社ライブラリー、2006)

なお、本書は品薄状態が続いているようで、注文時点で品切れ、ということもありえます。その際には、古書店または図書館も探索してみてください。

また、没後100年にあたる本年は本会のフッド晴美氏とMartin Hood氏によって英訳が進められています。このほかにも、新しい情報(「この花会」のこと、「明治初期の物理学者」のことなど)が歴史研究者や野中至(到)・千代子夫妻の関係者や子孫の方々から寄せられるようになってきております。

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女子団の富士登山・この花會 會長は野中至氏の夫人   1907年(明治40年)7月6日 東京朝日新聞

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婦人富士登山隊の出発   1908年(明治41年)8月15日  時事新報

 芝公園第14号2番なる女子教育家千葉秀胤(ひでたね)氏は女学校教員其他夫人令嬢等の依頼により昨年初て安全と興味とを主眼とせるこの花會と称する女子団の富士登山會を組織し首尾よく第一回登山の目的を果たしたるより今年は稍其の規模を拡張し野中至氏の賛助の下に同夫人千代子女史を會長に仰ぎ愈々近日其の第二回登山會を開く由なり・・・

野中夫妻、特に今まであまり知られていなかった千代子について興味を持たれる方が、本資料館を訪問されることを、心からお待ちしております。



(芙蓉日記の会)



認定NPO法人富士山測候所を活用する会とは


2004年に無人化され、いずれ取り壊しの運命にあった旧富士山測候所。
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また
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年間3000万円という莫大なコストが掛かるのです。

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公的補助もなく研究利用費だけで運営しております。

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 Chiyoko in Western clothing, circa 1914 (Chiyoko, age 43).  

Today marks the 100th anniversary of the death of Nonaka Chiyoko, who died on 22 February 1923.
Nonaka Itaru and his wife Chiyoko took weather observations on the summit of Mt Fuji for almost three months in the winter of 1895, thus paving the way for a permanent Mt Fuji Weather Station. To commemorate their feat, the Fuyo Nikki Society (named for Chiyoko’s journal of this adventure) has set up an online museum to display relevant resources. The aim is to accurately inform the public about the couple's achievements based on historical facts.

This is important because the Nonakas’ sojourn on Mt Fuji has also been celebrated in more than one novel and several films. Unfortunately, this has resulted in some distortions of the historical record. For instance, in his novel, Fuyo no Hito (The Lady of Mt Fuji), Nitta Jiro suggests that the Nonakas’ eldest daughter Sonoko died while her parents were away on Mt Fuji. But in fact Sonoko passed away some years later, in 1901, when she was seven years old, as Ohmori Hisao points out in his commentary in the Heibonsha combined edition of Chiyoko’s Fuyo Nikki (Mt Fuji Journal) and Itaru’s Fuji Annai (Guide to Mt Fuji). Nitta also suggests that Itaru’s mentor, Wada Yuji, refused to allow Chiyoko to become a member of the Meteorological Society of Japan when she applied to join, but it appears that, historically, her application was accepted. The Society has published these and other facts, based on its investigations. 

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Heibonsha combined edition of Chiyoko’s Fuyo Nikki (Mt Fuji Journal) and Itaru’s Fuji Annai (Guide to Mt Fuji)

The most reliable source on Chiyoko is her own Fuyo Nikki, which is most easily available in Japanese in the above-mentioned Heibonsha edition (2006) edited and introduced by Ohmori Hisao. In addition, members of the Society are preparing a full English translation. 
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A women's climbing party leaves for Mt Fuji on 15 August 1908 (Meiji 41), translated from Jijishinpo

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At the request of the teachers of the girls' school and other ladies, Mrs Chiba Hidatane, a women's educator from Shiba Park No. 14-2, organised a women's group called the Konohana-kai, named for the goddess of the mountain, to climb Mount Fuji last year. This year, with the support of Mr Nonaka Itaru, we will hold our second climbing party in the near future, with Mrs Nonaka Chiyoko as its president.

We sincerely hope that those who are interested in the Nonaka family, and in particular in the previously little-known Chiyoko, will visit our museum.

(Fuyo Nikki Society)



About Mount Fuji Research Station,  a certified non-profit organisation
In 2004, the manned weather station on Mt Fuji closed, ending 72 years of continuous human habitation on Japan's highest summit, and the station’s buildings were scheduled for demolition. 

The Association Mount Fuji Research Station is a non-profit organisation founded in 2005 by researchers in atmospheric chemistry and high-altitude medicine, with the aim of borrowing this facility from the official sector and turning it into a centre for high-altitude research and education.

The repair and maintenance costs for this facility , as well as its operating expenses, amount to 30 million yen annually. As there are no public subsidies to meet these expenditures, the station depends for its funding solely on research grants and usage fees. We would therefore like to ask for your support and membership to help us continue our support for research into the future. 

We are a certified non-profit organisation (only 2% of all non-profit organisations are certified).
Please refer to the website for more information on the deductions available for your donation.



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