太郎坊のそよ風

認定NPO法人 富士山測候所を活用する会 オフィシャルブログ

カテゴリ: 歴史

前回に続く)

NPOの設立総会は11月27日に行われましたが、それまでの経過を纏めてみます。

10月31日の第16回富士山高所科学研究会の会合で、ジャンボさん(渡辺豊博事務局長)から与えられた大量の書類を、消化して実体化する時間だったといえるかもしれません。当時の富士山高所科学研究会のメンバー25名のアンケート結果が残っています。
アンケート

1.測候所の利用希望について(利用したい、できれば利用したい、わからない)
2.測候所の個人的認識(教育拠点として重要、研究会へ利用者として参加、サポーターとして)
3.研究会とNPOのあり方について(研究会は発展解消、学会昨日中心に存続、学会での分担の可否)
4.NPOへの個人的意思(正会員として参加、賛助会員として、参加は難しい、今後も情報提供希望)
の項目についての質問に、「利用の希望」「教育拠点として重要」および「NPOに正会員として参加」はほぼ90%が●でしたが、全員ではなく、それぞれの事情を抱えていたことがわかります。また、「研究会はNPOとして発展解消」は半分以下の●で、その後結果として発展解消してしまったことがこの時点では予想されていませんでした。

富士山高所研究会と言う研究者組織とNPOとの関係が一番の課題で、秋の学会やその他の集会のたびに何度か話し合いが行われていました。

11月5日(土曜日)には、富士山測候所勤務経験のあるOBとの懇談会いが、前回のつくばに続けて、御殿場で行われました。
「富士山測候所OB各位」という懇談会への出席依頼状が気象研究所五十嵐康人主任研究官の名前で、元所長や職員の方々宛に出されています」ここで得られた先輩のノウハウは具体的で後年大変役に立ちました。施設の老朽化や、安全の問題から、測候所の民間での維持管理には反対をされた志崎大策元所長などもおられましたが、測候所勤務経験のある先輩の大半が、無人化を惜しんでおられて、NPOという形でも残ることに希望を繋いで下さっていました。

測候所施設の運営に関わるノウハウについて下記の「別紙」はその後の参考になっています。
別紙(20051105懇談会御殿場)

2005/11/27
千代田区
NPO「富士山測候所 を活用する会」設立総会
たくさん
2005/11/21 神戸大 日本気象学会秋季大 会富士山セッション
2005/11/5
 御殿場
 測候所OBとの面談
11名
2005/10/31
 気象庁
 「山頂庁舎等有効利 用検討委員会」参加
オブザーバー
2005/10/31
 東大
 第16回富士山高所 科学研究会会合
たくさん

11月21日には神戸大学で日本気象学会の秋季大会が行われ、その中で「富士山セッション」がありました。当日の座長だった岩坂泰信・金沢大教授と土器屋由紀子・江戸川大教授により2006年に「天気」にそのまとめが報告されています。
スペシャルセッション


研究発表の中では、最初に、東北大学・中澤高清教授によって、「富士山頂における二酸化炭素濃度の観測」として、1980年10月はグラブサンプリングで、1981年7-10月には赤外分光法により測定したデータが紹介されました。レーダー観測が中心だった測候所時代にも行われていたことを示されました。気象研究所・五十嵐康人主任研究官、兼保直樹産総研研究員、加藤広海・農工大大学院生、三浦和彦・理科大助教授他の富士山を用いた研究や、山梨大・小林助教授、名古屋大・西田千春大学院生、畠山史郎国環研室長他の富士山以外の山岳や南極などの研究も報告されています。
このシンポジウムの関係者の多くがその後のNPO活動に長く関わっていることはご存知のとおりです。

研究者たちが、学会や懇談会などで忙しい間にも、ジャンボさんと櫻井芳之さんの事務局では、設立総会の準備が進み、11月27日に「特定非営利活動法人 富士山測候所を活用する会」設立総会のご案内が発起人・浅野勝己の名で関係者に配布されていました。
NPO設立表紙
NPO設立要旨

設立総会とNHKのニュースにもなったその反響、その後の動きは次回ご紹介します。
参考 
岩坂泰信、土器屋由紀子「2005年度秋季大会・スペシャルセッション「高所山岳を利用した大気科学の展望:富士山頂を観測拠点に」報告、天気53,43-47,2006

(広報委員会)
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 2005年10月21日静岡新聞と産経新聞の一部

研究者によるNPO設立の動きが活発に行われていましたが、設立総会のアナウンスまでにはそれなりの準備が必要です。
その間、2005年10月21日の静岡新聞には、
富士山測候所の有効活用、気象庁長官「管理に関与せず」
長坂昂一気象庁長官が定例会見で、夏期以外は無人化した富士山測候所について、「ここ1,2年は同様に維持するが、その先は必要ない」との認識を示した。・・・
とあります。
また、産経新聞(10月17日)にも”空き家”の富士山測候所 活用「国は及び腰」つかぬ予算・・進まぬ研究施設構想・・気象庁は「不要」 と報じられています。

          

会長が決まり、人事案も出来たので、渡辺豊博氏(ジャンボさん)は10月または11月のNPO設立総会を目指して高所科学研究会のメンバーを集めました。
10月3日に浜松町の島嶼会館で第15回富士山高所科学研究会の会合が行われています。
参加者12名、18:15-20:30 熱心な討論が行われました。

前回の会合から、メンバーに加わった東京都環境研究所の小山功氏による丁寧な議事録がの残っています。

まず、橋本元総理と会談の様子をジャンボさんから説明があり、前回のブログでご紹介した人事案が検討されました。

この日は、同時に「特定非営利活動法人 富士山測候所を活用する会 申請関係資料(案)05.10.3」と言う20ページに及ぶ資料が配布されています。(設立趣意書に始まり、会の定款、役員名簿、平成18年度事業計画案と予算案までバッチリと出来ているものでさすがジャンボさんという書類です)

理事に著名人を据えたいというジャンボさんの案には
「〇〇さんはNPOには一切参加しないと決めていると断られた」という浅野名誉教授の話や。
「著名人を増やすと総会設立の時に困ったことがある。事前の説明が不十分で議論が割れて困ったことがある」と言う永淵教授の経験談も紹介されています。

また、予算の会費は増やす必要があるというジャンボさんの発言があります。
「米国のNPOは理事は年間300万円は出す。20人いれば6000万円の基金ができるのでそれで事務局が賄える。それで事務局を支え、事務局員が会を支える」という話にはやや違和感を覚えたものです。
当時、高所研究会のメンバーは運営員で理事ではありませんでした。ちなみに、次年度(2006年度)の」予算規模は」500万円でした。

「高所研究会とは別立てにして、活用する会は別のパンフレットを作る。両者の会員は重なるが、活用する会には学生や(気象庁)OBも参加を求める。
公務員とNPOの兼務には許可はいらない。NPOはいわゆる業には当たらない。」
これも、ジャンボさんの静岡県での経験と知見が生かされていましたが、「理事」との併任には問題になる職場があるようでした。

「活用する会が測候所を自由に利用できる保証は現時点(2005年10月3日)ではない。測候所は現在。財務省の管轄下にあり、県とか市にしか譲渡できない。 測候所の利用に当たっては、他の民間との調節も必要。」

「NPOは情報公開しなければならない。」

正直なところ、研究者の大半はまだ「NPOってなに?」の状態からそれほど理解が進んでいませんでした。そのためもあってか、設立総会は11月の末にずれこみました。

「富士山高所科学研究会」のメーリングリスト(10/18)にこの間の事情がわかるコメントが収録されています。主として手塚正一・福島晨次元測候所長との話し合いから得られたもので、現在の夏期2ヶ月の管理運営に繋がる情報が含まれています。
まず電源の大切さ、東京電力との協力の必要性、ハット(電源分岐施設)の状況、発動発電機の利用、
次に、トイレ問題(すべて持ちおろし)、廃棄物もすべて下ろすこと、要員として岩崎洋さんが入っていることの重要性、気象庁との協力関係の大切さなどです。

10月31日は気象庁の「山頂庁舎有効利用検討委員会」が開かれ、高所科学研究会はオブザーバー参加をしましたが、NPO成立後は正式メンバーとして参加が許可される見通しになりました。

2005/10/31
 気象庁
 「山頂庁舎等有効利 用検討委員会」参加
オブザーバー
2005/10/31
 東大
 第16回富士山高所 科学研究会会合
たくさん
2005/10/18
 つくば
 打ち合わせ
4名
2005/10/3
 浜松町
 第15回富士山高所 科学研究会会合
たくさん
      (富士山高所科学研究会ウェブサイトから)

(広報委員会)
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前回に続く



 2005年6月3日、撮影:櫻井芳之理事

2005年9月15日には「第14回富士山高所科学研究会」が、東京大学・山上会館で行われ13名が出席しています。
この集まりで、渡辺事務局長(ジャンボさん)はNPOの設立案を提示し、10月設立へ向けてのスケジュールを示しました。その中には人事案もあります。

名誉職の会長として推薦したのが、橋本龍太郎元首相です。橋本元首相には、すでに6月に関係者で面会に行っていましたが、堀井昌子医師(2010年-2015年副理事長で、現在顧問)と土器屋由紀子理事の知り合いという縁があったためです。堀井医師は橋本氏のヒマラヤトレッキングに主治医として同行していましたし、土器屋理事は気象大学校勤務時に橋本氏の測候所訪問に同行していました。

1992年8月27日、当時気象大学校勤務だった土器屋は卒論学生と富士山測候所周辺の降水サンプルを採取のため、登山しましたが、気象大学校長の突然の指示で、測候所60周年の記念事業のための取材に協力しました。仕事は、撮影隊が「日本画家・川崎春彦画伯とその弟子(橋本龍太郎元運輸大臣、当時)のご案内」でした。


 1992年8月27日、突然の橋本龍太郎・元運輸大臣の訪問を迎えた富士山測候所


 川崎春彦画伯と橋本龍太郎氏(高校時代の弟子)

2005年当時、橋本氏は日本山岳ガイド協会の会長も兼任しておられた、登山愛好家としても有名で、会長として最適任と考えられていました。

しかし、9月30日に、塩谷立文科副大臣、岩井国臣国交副大臣と渡辺、櫻井、浅野、土器屋で橋本元首相にお願いに行ったところ、政治的な事情から会長は引き受けられないが、理事ならOK。会長には、元運輸事務次官の中村徹氏(観光協会会長)を推薦してくださいました。30分ほどの面談でしたが、
「この仕事は成功させたいんだよ」
と言われて、みんなの眼の前で高校後輩の中村氏に電話をされたり、実にテキパキと対応してくださったのを思い出します。

会長が決まると、あとはジャンボさんの腕の見せ所です。副会長、顧問、監事、理事長、副理事長、理事と、候補者が挙がり、『よみがえる富士山測候所』(2012)の表現を借りると、「ジャンボ機関車、櫻井高性能エンジンは、少し古びた浅野、土器屋車両を引っ張って、あいさつ回りなどに出発し」、ほぼ1ヶ月で、下記のように当初の人事案が出来上がりました。

NPO法人富士山測候所を活用する会役員(役職、所属は2005年のもの)
会長  中村徹 元運輸事務次官・日本観光協会会長
副会長 松尾稔 名古屋大学名誉教授 
顧問  岩井國臣 前国土交通副大臣
    塩谷立  前文部科学副大臣
    石川喜延 静岡県知事
    山本栄彦 山梨県知事
監事  黒岩秩子 元参議院議員
    高橋邦明 弁護士
理事⻑  浅野 勝⼰ 筑波大名誉教授
副理事⻑ 三浦雄⼀郎 プロスキーヤー
副理事⻑ ⼟器屋由紀⼦ 江戸川大学教授
理事    荒牧 重雄  山梨県環境科学研究所長
    伊藤 和明 元NHK解説員
    ⾼橋 通⼦ 医師、登山家
    岩坂 泰信 金沢大学教授
    笠原三紀夫 京都大学名誉教授
    ⼩林 俊夫 日本登山医学会会長
    ⽥中 ⽂男 (社)日本山岳協会会長
    ⽥中 穰 (社)高等教育総合研究所
    ⽥部井淳⼦ 登山家
    橋本⿓太郎 元内閣総理大臣
    平井 信⾏ NPO法人気象キャスターネットワーク代表
    平⼭ 善吉 日本山岳会会長
    廣⽥ 勇 京都大学名誉教授
    村⼭ 貢司 (財)気象業務支援センター
    森 武昭 神奈川工科大学教授
理事/事務局長 渡辺 豊博 NPO法人グランドワーク三島事務局長
 (『よみがえれ富士山測候所2005-2011』、p22-23)

この他に、実際の運営に関わる「運営委員会」と「事務局」名簿も作成されました。NPOに参加はできても「理事」になれない公務員への配慮が行われています。

事務局の名簿は下記のとおりです。

   事務局長 渡辺豊博 NPO法人グランドワーク三島
   事務局次長 春名薫 (株)リンクジャパン
   事務局  黒水恒男 (財)社会教育協会
        岩崎洋  元測候所職員
        櫻井芳之 (財)静岡総合研究所

これらは、2005年10月3日の第15回富士山高所科学研究会へ提出され、いよいよ本格的な組織づくりへと繋がっていきました。

(広報委員会)
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本日、8月30日は「富士山測候所の日」です。
野中が明治28年(1895年)、剣ヶ峰に私費で建てた観測小屋が完成した日にちなんで名づけられた「富士山測候所の日」ですが、今年はちょうど130年の節目にあたります。

最近、白洲正子の『白洲正子自伝』(新潮文庫、1999)を読んでいたら、野中到に関する情報を見つけました。
年の離れた二人ですが接点があったことを知り、感銘を覚えました。


白洲正子は学校に入る前、しじゅう御殿場の別荘につれられ、春から秋の半年間を過ごすことが多かったそうです。
別荘は「瑞雲荘」と呼ばれ、滝ケ原の野中到邸とはおよそ3キロの距離にありました。
その時の思い出として、下のような記述があります。
御殿場の生活は、とてもここには書ききれないほどの憶い出に満ちているが、中でも印象に残っているのは、富士山の気象観測に功績のあった野中至氏にお会いしたことだ。
野中さん一家は滝ヶ原の近くに住んでおられ、父といっしょに私は度々お訪ねしたが、七、八歳の頃のことだから何を話したわけでもない。が、やはりこの世に残るような仕事した人物は、子供心にも強い感銘を与えるものらしく、日本の原住民を思わせるような野性的な風貌は、今も目前にありありと残っている。(「故里は遠くにありて」p80)
白洲正子は旧姓は樺山。明治維新の剣豪・薩南示現流の使い手・樺山資紀(橋口覚之進)が祖父です。御殿場の「瑞雲荘」は田舎家を中身だけ近代建築に改造したユニークな豪邸で有名でした。

芙蓉日記の会のメールで、この情報を共有した富士宮市の加藤和生様から、ネットで調べた樺山別邸の写真を送っていただきました。(常葉大学造形学部紀要、第13号(2015)土屋和男「御殿場の田舎家 -樺山別邸、西園寺別邸、井上別邸=秩父宮御別邸-」)

御殿場は、東海道線開通後、東京から近い高原別荘地として、明治中期から開発され、多くの別荘で賑わっていました。その後、東海道線の変更もあり、戦後、樺山邸跡地は御殿場市立西中学校として、庭園の一部が保存され、建物は現在は箱根仙石原に移設され旅館になっているとか。

今年、市政70年を迎える御殿場市と芙蓉日記の会は、「野中至(到)・千代子資料館」の写真を通して、最近接点があります。このように、「富士の裾野の情報」は思わぬ広がりを見せていますが、これも本NPO活動の一つの副産物でしょうか?

 
 野中別邸(現「樹空の森」)と瑞雲荘(現御殿場市立西中学校)の位置関係(クリックで拡大)


(芙蓉日記の会、広報委員会)
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(その7)三島のジャンボさんNPOをつくるに続く)
2005年は御殿場市にとって市制施行50周年にあたっていました。記念行事として「富士山気象観測資料展」が8月3-11日に御殿場市民会館で行われましたが、その中で、8月6日には公開講座、「命をかけたプロジェクト”富士山測候所”」と題して、伊藤庄助氏の講演がありました。



富士山測候所で使われた気象測器の展示会もあり、講演を聞きながら見学したことを思い出します。

8月8日には「第12回 富士山高所科学研究会」が東大理学部1号館で行われ、7月18日の「富士山測候所見学会」の説明が櫻井芳由之氏より、文部科学省事務次官、岩井国土交通副大臣、気象庁長官、片山虎之助議員、塩谷文科省副大臣との面談について浅野勝己氏の説明がありました。

2005年の8月について、富士山高所科学研究会のページを見ると:

2005/8/31
東京
 第13回富士山高所 科学研究会会合
 10名程度
8/21-23
富士山
 無人化に伴う大気化学観測機器撤去 3名
8/18-20
富士山
 高所医学グループ研究利用
 12名

8月18日から20日にかけて、高所医学の研究者たち(黒部市民病院・高櫻英輔院長他12名・「高所環境における肥満治療の研究計画ーエネルギー消費量の増大とその分子生物学的機序ー」)の研究が行われています。

8月21日-22日:無人化にともなう大気化学観測機器の撤去作業が3名の研究者で行われました。

8月31日 東大理学部で「第13回 富士山高所科学研究会会合」が行われています。
渡辺豊博事務局長の「NPOへの移行」提案を受けて、主だった研究者による議論が、この間、東京農工大、つくば気象研究所などで並行して行われていました。

「利用する会」のイメージも「科学」「登山」「青少年」⇔「大気化学、高所医学、天文学、生態学、地質学など」に対して、資金をどうするか? というものでした。

「研究者の不安は、経営にどの程度責任を負ったら良いのか?」
「運営はNPO本体に任せて、研究者グループは使用料を対価として支払い、研究者に徹する?」
「運営会議は「科学」「青少年(教育)」「登山(ホテルや遭難救助なども含む?)それぞれのグループを作り、全体のまとめ役としての運営委員会の下に置く。運営委員会の委員長は渡辺氏しかいない。」
この時期は、気象庁からの借用条件が今のように厳しいものであることがわからず、可能性として「観光」も議論されたこともありました。
つくばの気象研究所グループと、大学・研究機関グループで立場の相違と意見の相違があり、また、
「富士山高所科学研究会」を残すという意見と研究会が全体としてNPOに移行するという意見があり、当初は研究会を残す意見が多数を占めていました。

なお、8月30日には『モバイル・ぐっど・モーニング』「今日は何の日?」シリーズの中で、柳沼淳子アナウンサーにより
富士山測候所は昨年2004年に無人化されてしまったのですが今から110年前の明治29年の今日、富士山頂に、気象庁富士山測候所前身、野中測候所が開設しました。
野中測候所は、大日本気象学会の野中至さんという民間人が私財を投じて建設したものでした。
と放送され、「富士山高所科学研究会・土器屋」宛に資料提供への御礼状と録画テープが送られてきました。

(広報委員会)
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